味に生きる
やがて、目の前に輝きを帯びたそれがおかれる。や、いなや右手の三本の指でさっとつまむ。口のなかに放り込む。
味わう。五感を駆使して、味わう。
言葉はすぐにはいらない。とにかくまずは親方に笑顔を返す。親方からはしてやったりの笑顔が返ってくる。
以前番組で取材したアーティスト・奈良美智さんのことばに深く思いいったことがある。
<僕は【職業】としてこの道を選んだわけではなく、【生き方】として選んだのだ>
【労働】や【職業】ではなく、【生き方】として選んだ道には終わりがない。「ま、いいか」とか「もう、いいや」がない。自分で自分の好奇心・探究心・向上心にピリオドを打つことができない。
そして東京・目黒にある鮨屋の親方・佐藤衛司さんも【生き方】として鮨職人を選んだひとだと思う。もっと美味いものを客に食わせられないか。ずっとそのことを考えて、魚を探し続け、漁師を探し続け、輸送法を探し続け、料理法を探し続け、米を探し続け、調味料を探し続けている。
新潮社から出版されている『失われゆく鮨をもとめて』は、そんな親方の探し続ける旅にノンフィクション作家の一志治夫さんが2年間にわたり同行した食紀行である。
利尻でウニを、鹿嶋で蛤を、勝浦で鮑を、能登で鰤を、築地で穴子を、伊豆で柑橘を、奥志摩で鯵を、伊勢で味噌を、宇治で和芥子を――といった具合に、全国津々浦々の漁場、漁師、卸、流通をめぐる。
ページを捲るたびに「こりゃ、美味そうだ」と唾をのみこみながら、鮨という食の奥深さを感じる。と同時に「えーっ、もう食べられなくなっちゃうの!」と日本各地の海がいま抱える危機的状況(自然破壊、地球温暖化、乱獲、人材枯渇などなど)の深刻さを思い知らされる。これは、本当にヤバい。
こんなヤバい状況を、カタストロフィの一歩手前でなんとか食い止めている最後の希望は、【生き方】としてその道を選んだひとたちである。【生き方】として漁師を選んだひとが、なんとか、少数だけれどどこの漁場にもいてくれる。頭が下がる。そして、そんな漁師を奮い立たせているのが、【生き方】として鮨屋を選んだひととの約束なんだとも思う。【生き方】と【生き方】がぶつかるタイマン勝負には、けっして終わりはない。そのひとたちが寿命を終えるまでは――。
食べるのならば本物の鮨にしておきたいと、強く思う。本物の鮨に残された時間はそう多くない。なにより、ニセモノの鮨を食べることは、すなわち、ワルい奴らの片棒を担ぐことになりかねない――って、ただ自分の卑しくはった食い意地を強引に正当化しているだけか。
さて、ひとつお知らせがあります。
2006年1月からお届けしてきたこの『プロデューサーからの手紙』ですが、今回の手紙が最後の手紙となります。
理由は、わたくし中野伸二が会社の人事異動にともなって、番組プロデューサーという仕事から距離をおくことになったためです。月に一度、この手紙を読んで下さっていたみなさん、本当にありがとうございました。僕が選んだ道は【職業】なのか【生き方】なのかなどと問い質すのはどうかご勘弁下さい。
気がつけば早いもので『情熱大陸』は番組スタートから丸10年が経ちました。4月から新しいプロデューサー・井口岳洋がつくる新しい『情熱大陸』を、引き続きよろしくお願いします。
2008年 03月 28日 プロデューサーからの手紙 | Permalink







