新たな挑戦は、果てしなく続く
四年に一度の地球規模の大祭典、たった一つのボールの行方に、世界中の人々が注目するワールドカップ・ドイツ大会も、イタリアの24年ぶり、四度目の優勝という結末で幕を閉じた。
約一か月のあいだに、心の底から喜びを爆発させた人々、胸が張り裂けるような思いで涙を流した人々、ガッツポーズの拳を強く握りしめた人々、ガックリと肩 を落として憔悴した人々……などなど、世界中の人々が喜怒哀楽を露わにして、自分の応援する国々の選手たちに声援を贈った。
それは、素晴らしく美しい光景だった。地球が衛星放送の電波で被われて、そこに暮らす人々が一つに結ばれた。もしも「世界平和」というものが存在するなら、それは、このような風景のことをいうのではないか。そんなふうにも思える光景だった。
残念ながら、我々の日本代表チームは、二敗一引き分けという成績で、目標だった決勝トーナメントへと駒を進めることなく、早々と姿を消した。その結果に対して、様々な批判も噴出した。
しかし、あまり悲観する必要はないかもしれない。
最初の試合で日本代表チームは、試合終了の八分前まで、オーストラリアに一対〇とリードしていた。もしもあのまま試合を終えることができていれば……。もしもレフェリーのミスジャッジがなく、日本にペナルティキックが与えられていたならば……。その後のすべての展開が、変わっていたにちがいない。
しかも、日本を相手にギリギリの勝利を掴み取ったオーストラリアは、決勝トーナメントに進出し、イタリアを相手に後半試合終了目前まで、両チーム無得点のまま互角の勝負を展開し、わずか一本のペナルティキックで敗れた。そして、そのイタリアが優勝し、ワールドカップを手にしたのだ。
もちろん、時計の針は戻せない。もしも、あのとき……という言い方に、なんの意味もないことはわかっている。それに、サッカーとは、そういうものなのだ。わずか一点、たった数分の出来事が、大きく結果を左右する。それが、実力というものなのだ。その一点が大きいのだ。
しかし、それでも、わずか一点、たった数分といいたい。日本代表、サムライ・ジャパンは、けっして弱くなかった。世界のサッカーと互角に闘ったのだ。
もちろん欠陥はあった。弱点も露呈された。しかし、それは、未来を開く目標が見えた、というべきだろう。それは、喜ぶべき事態にちがいない。
わずか一点、わずか数分。勝敗を左右する、その「わずか」だが「大きな」壁に向かって、新たな四年間の闘いが始まる。たぶん、人間とは、そんなふうにして成長するものなのだ。
ワールドカップに出場して、まだ三回。世界のサッカーと交わって、わずか十数年。日本の未来は、広がっている。
四年に一度の地球規模の平和の祭典。その素晴らしい大会への挑戦は、果てしなく続く。一個のボールで結びつけられた「地球共同体」の一員として、それほど喜ばしいことは、ほかにあるまい。
2006年 07月 28日 知って得する情熱トリビア | Permalink




