2006年7月28日 (金)

新たな挑戦は、果てしなく続く

音声ファイルをダウンロード

玉木正之

 四年に一度の地球規模の大祭典、たった一つのボールの行方に、世界中の人々が注目するワールドカップ・ドイツ大会も、イタリアの24年ぶり、四度目の優勝という結末で幕を閉じた。

 約一か月のあいだに、心の底から喜びを爆発させた人々、胸が張り裂けるような思いで涙を流した人々、ガッツポーズの拳を強く握りしめた人々、ガックリと肩 を落として憔悴した人々……などなど、世界中の人々が喜怒哀楽を露わにして、自分の応援する国々の選手たちに声援を贈った。

 それは、素晴らしく美しい光景だった。地球が衛星放送の電波で被われて、そこに暮らす人々が一つに結ばれた。もしも「世界平和」というものが存在するなら、それは、このような風景のことをいうのではないか。そんなふうにも思える光景だった。

 残念ながら、我々の日本代表チームは、二敗一引き分けという成績で、目標だった決勝トーナメントへと駒を進めることなく、早々と姿を消した。その結果に対して、様々な批判も噴出した。

 しかし、あまり悲観する必要はないかもしれない。

 最初の試合で日本代表チームは、試合終了の八分前まで、オーストラリアに一対〇とリードしていた。もしもあのまま試合を終えることができていれば……。もしもレフェリーのミスジャッジがなく、日本にペナルティキックが与えられていたならば……。その後のすべての展開が、変わっていたにちがいない。

 しかも、日本を相手にギリギリの勝利を掴み取ったオーストラリアは、決勝トーナメントに進出し、イタリアを相手に後半試合終了目前まで、両チーム無得点のまま互角の勝負を展開し、わずか一本のペナルティキックで敗れた。そして、そのイタリアが優勝し、ワールドカップを手にしたのだ。

 もちろん、時計の針は戻せない。もしも、あのとき……という言い方に、なんの意味もないことはわかっている。それに、サッカーとは、そういうものなのだ。わずか一点、たった数分の出来事が、大きく結果を左右する。それが、実力というものなのだ。その一点が大きいのだ。

 しかし、それでも、わずか一点、たった数分といいたい。日本代表、サムライ・ジャパンは、けっして弱くなかった。世界のサッカーと互角に闘ったのだ。 

 もちろん欠陥はあった。弱点も露呈された。しかし、それは、未来を開く目標が見えた、というべきだろう。それは、喜ぶべき事態にちがいない。

 わずか一点、わずか数分。勝敗を左右する、その「わずか」だが「大きな」壁に向かって、新たな四年間の闘いが始まる。たぶん、人間とは、そんなふうにして成長するものなのだ。 

 ワールドカップに出場して、まだ三回。世界のサッカーと交わって、わずか十数年。日本の未来は、広がっている。

 四年に一度の地球規模の平和の祭典。その素晴らしい大会への挑戦は、果てしなく続く。一個のボールで結びつけられた「地球共同体」の一員として、それほど喜ばしいことは、ほかにあるまい。

MP3ファイルをダウンロード

2006年 07月 28日 知って得する情熱トリビア |



2006年6月 9日 (金)

日本のサッカーが大人になる瞬間

音声ファイルをダウンロード

玉木正之

 今からほんの20年前、我々の国・日本には、サッカーなど存在しなかった――。
 そういうと、「えええっ?」と驚く人がいるだろう。「うっそー!」と否定する人もいるだろう。しかし、それは「事実」なのだ。

 今からほんの20年前、日本には、サッカーなど存在しなかった。いや、存在はしていたが、それを知っている人は、ほんのわずかしかいなかった。
 サッカー日本代表チームの監督の名前を知っている人は、ごく少数しかいなかった。その代表チームが、ワールドカップの予選に負け続けていることを知って いる人も、ほとんどいなかった。いや、サッカーのワールドカップというものが、世界的規模で盛大に開催されていることも、知らない人が多かった。

 そして、国内で闘われていた日本サッカーリーグは、数百人しか観客がいない閑散としたスタジアムのなかで、カズやラモスや、加藤久や岡田武史が、走りまわっていた。
 1985年に一度だけ、韓国との一戦に勝てばワールドカップに……という話題が巷を駆けめぐった。が、結果は敗戦。しかもほとんどの日本国民は、プロ野球阪神タイガースの21年ぶりの優勝のほうに注目し、サッカーのことなど眼中になかった。

 そんな事態が一変したのが、今から13年前の1993年、Jリーグの誕生だった。
 突如湧き起こったサッカー・ブーム。全国民が、Jリーグとともにワールドカップ予選に目を向け、オフト監督率いる日本代表チームの「ドーハの悲劇」に涙した。その4年後に、岡田武史監督率いる日本代表が「ジョホールバルの奇蹟」で初のワールドカップ・フランス大会への出場を果たした。が、結果は3連敗。さらに4年後、ワールドカップは日韓共催という形で、我々の目の前で行われ、日本列島がワールドカップ一色に染まるなか、トルシエ監督に率いられたイレヴンは、見事にグループリーグを突破し、日本のサッカーは世界のベスト16にその名を連ねた。
 そして、いま、ワールドカップ・ドイツ大会の開幕が目前に迫り、ジーコ監督率いる日本代表チームの活躍に、全国民の目が集まっている。

 しかし、忘れてならないことがある。
 それは、日本のサッカーが、メジャーになってまだ20年も経っていない、という事実である。人間の一生にたとえるなら、まだ10代。思春期でしかない。
とはいえ、それだけに、今が最も大切な時期、このドイツ大会が最も重要な大会、といえるはずだ。
 しかも、命令通りに動かされたトルシエ・ジャパンに変わって、ジーコ・ジャパンは選手の自主性と主体性を重んじ、試合展開は選手自身の判断が大きなウェイトを占めている。まさに日本のサッカーが、思春期から青年期、そして大人へと変身してゆく瞬間、それがドイツ大会、ワールドカップ3度目の挑戦、といえるのだ。

 はたしてその結果は……?
 それは誰にも予想できない。しかし、どんな結果になろうとも、日本のサッカーが「大人になった」といえる瞬間に出逢いたいものである。

MP3ファイルをダウンロード

2006年 06月 09日 知って得する情熱トリビア |



2006年3月31日 (金)

WBC―日本の優勝の意味するもの

音声ファイルをダウンロード

玉木正之

 イチロー、松坂大輔、上原浩治から王貞治まで。
 日本の野球人を総動員して掴み取った『ワールド・ベースボール・クラシック』の優勝。
 普段は野球なんてまったく興味がない人も、今回の彼らの戦いぶりにはちょっと胸が熱くなったんじゃありませんか。
 その一方で、いろいろな問題点も浮き彫りになりました。真の世界一決定戦の実現に向けて、王者となった日本が取り組むべき課題は何なのか。玉木さんの解説をお聴きいただき、ニッポン野球のさらなる発展を考えることにしましょう。

 終わり良ければすべて良し……ということで、とりあえずは「ヨシ!」ということになるのだろう。

 ベースボールの世界一を決定する第1回ワールド・ベースボール・クラシックは、決勝でキューバを倒した日本が、初代王者に輝いた。
 一時はアメリカの疑惑の判定による敗戦や、韓国に連敗を喫するなど、準決勝進出も風前の灯火となった日本だったが、そんな窮地からよく立ち直っての優勝。まずは王監督と代表選手全員に、心から感謝の言葉を贈りたい。みんな素晴らしかった! 日本野球は強かった!

 しかし、喜んでばかりはいられない。
 いったい、このWBCとは何だったのか?

 多くの選手や球団が、メジャーリーグや日本のプロ野球のリーグ戦を優先して、代表に選ばれることや、選手を送り出すことを拒否。それは、WBCの価値が、まだまだ認められていないことにほかならない。

 さらに、日本と韓国が3度も闘ったように、同じ相手と何度も試合をする奇妙な組み合わせ。それは、アメリカが、ドミニカやキューバ、プエルトリコやベネズエラといった強豪国と闘いたくなかったうえに、国交がなく経済封鎖までしているキューバをアメリカ国内に入れたくなかったからにほかならない。

 アメリカ有利の「疑惑の判定」はさておくとしても、日本対韓国の試合でも、日本対キューバの決勝戦でも、プレイボールの前にアメリカ国歌が流されたように、すべてがアメリカ中心に、アメリカ主導で運営された。

 それらは、次回2009年に予定されている第2回大会以降、改めなければならない大きな課題といえる。

 それには、日本のプロ野球界が、きちんとした組織をつくり、意見を主張しなければならない。たまに顔を出すだけで何の仕事をしているのかわからないようなコミッショナーのあり方を変え、日本代表チームの専門委員会を作り、日本代表選手や監督のリーズナブルな選考や、代表チームの強化に乗り出さなければならない。

 そして、野球チームの真の世界一を決定するリアル・ワールド・シリーズの開催など、世界のベースボールの未来をアメリカにまかせるのではなく、日本の野球界がリーダーシップを発揮するべきだろう。

[訂正とお詫び]
本コラムの発表時に、ウルグアイのサッカーW杯優勝について「第1回大会には優勝したものの、その後2度と優勝できないでいる。」との記述がありましたが、ウルグアイは2度優勝しており記事の誤りでした。該当部分を削除するとともに、読者の皆様に誤解を与えたことをお詫びいたします。(2006/4/10)

2006年 03月 31日 知って得する情熱トリビア |



2006年3月 3日 (金)

ベースボールは『世界のスポーツ』といえるのか?

音声ファイルをダウンロード

玉木正之

 今月開催される『ワールド・ベースボール・クラシック』には、情熱大陸でも紹介したイチローをはじめとするスタープレーヤーたちが日本代表として参加します。彼らがこの大会で活躍すれば、アメリカ中心で進む『世界の野球』シーンにも一石を投じることが出来るはずなのですが……。

 大会が開催されるまでのエピソードをお読みいただき、日本代表チームの健闘を祈りましょう。

 2012年のロンドン大会から、野球はオリンピックの正式競技でなくなってしまう。野球は「世界的に広がっていない」というのが、その理由だ。

 一方で、今年の3月には、ワールド・ベースボール・クラシックという名称で、世界16か国のメジャーリーグ・トップ選手も参加する国際大会が開催される。

 野球は「世界」に広がらないのか、広がるのか? どうにも不可解な出来事といえる。

 野球を世界に広げよう! と最も力を入れていたのは、日本の社会人野球を中心とするアマチュア球界だった。彼らの努力で、野球はオリンピックの正式種目にもなった。ところが、あらゆる競技で世界のトップ・クラスであることを望むIOC=国際オリンピック委員会は、アメリカ・メジャー・リーグの選手の参加を要求。しかし、メジャー・リーグは、シーズン中であることを理由に拒否。

 そこで日本のアマチュア球界は、プロのトップの大会を創り、オリンピックはサッカーの「アンダー23」のように年齢制限を設ける大会にしようと計画。いったんはアメリカ側と、メジャー・リーグの選手も参加する「2005年スーパー・ワールド・カップ」のアメリカ開催と、2009年第2回大会の日本開催で、合意した。が、「9・11」の同時多発テロ事件をきっかけにして、計画は白紙に。

 そして突然、アメリカ・メジャー・リーグの打ち出した計画が「ワールド・ベースボール・クラシック」だった。どうやらアメリカ側は、日本やIBAF(国際野球連盟)に主導権を握られるのがイヤで、メジャー・リーグ中心の国際大会にしたかったようだ。

 イングランドのサッカーや日本の柔道のように、世界的になったために発祥の地の影が薄くなるような事態は避け、ベースボールはアメリカのもの、にしておきたかったのだろう。

 この唐突な計画立案に、日本のプロ野球は最初は猛反発。いったんは参加拒否を打ち出したが、メジャーリーグの猛烈な巻き返しによって参加することになった。

 とはいえ、スポーツとは本質的に公平なものである。サッカーがブラジルの国技になっているように、強くなれば、そして世界一に    なれば、本家本元も変化する。

 様々な事情の入り組んだ事情のなかで開催されるワールド・ベースボール・クラシックだが、野球を本当に「世界的」なスポーツにするためにも、日本代表チームの活躍と勝利に期待したい!

MP3ファイルをダウンロード

2006年 03月 03日 知って得する情熱トリビア |



2006年2月 3日 (金)

冬季五輪がどうしてトリノで?

音声ファイルをダウンロード

玉木正之

 女子フィギュアスケート日本代表の3選手のうち、ミキティこと安藤美姫こそ紹介していないものの、「情熱大陸」では2001年12月09日に村主章枝(すぐりふみえ)を、2005年01月09日に荒川静香を、それぞれ放送で紹介している。今回の「知って得する情熱トリビア」は、彼女たちの出場する冬季五輪の開催都市について。

 題して「冬季五輪がどうしてトリノで?」

 ミキティ、村主、荒川の女子フィギュア3選手に期待のかかるトリノ冬季五輪の開幕が近づいた。そこで日本のマスコミは連日のように、トリノの街を紹介している。

 トリノはイタリアという国が生まれたときの最初の首都で、サッカー・セリエAの人気チーム・ユベントスのホームタウンで、イタリア自動車産業の中心地で…。しかし、そんななかで、日本のメディアがとりあげていない、冬のオリンピックに関する一つの「噂」がある。それは、冬のオリンピックが、最近は長野やソルトレイクシティやトリノのような「大きな都市」で開催されるようになってきた、という事実である。

 古くはそうではなかった。シャモニー、サンモリッツ、コルチナ・ダンペッツォ、グルノーブル…と、札幌を除けば名前を聞いても知っている人の少ない小さな町、というよりも山間(やまあい)の村で開催されることが多かった。

 しかし近年競技種目が増えた結果、雪と氷に恵まれた小さな村や町では、世界から集まる多人数の選手を受け入れられなくなった。そのため、トリノのような比較的大きな都市で、冬のオリンピックが開催されることが、常識になってきたのだ。そのうえ冬季五輪には、さらに競技種目を一気に増やそうとする動きがある。夏の五輪のインドア競技をすべて冬季五輪に移そうという声が、国際オリンピック委員会のなかにあるのだ。

 バスケットやバレーなどの屋内球技は冬でも可能、という以上に、冬がシーズンの中心で、それらが冬季五輪に移されれば、ラグビー、インライン・スケート、サーフィン、それに廃止が決まった野球の復活など、夏季五輪の種目を一気に増やすこともできる。また、雪と氷とは縁の薄い世界の国々も冬季五輪に参加できるようになる。

 そんな将来像に向かって大都市での冬季五輪が一般化しているのかも…。ちなみにトリノの次はカナダの大都市バンクーバー。その次あたりはバスケットが冬季五輪のメイン競技になるのかもしれない。

 どこで開催されるのであれ、氷の上に咲く華はいつの時代も美しいもの。女子フィギュア日本代表3選手の健闘を大いに祈るとしよう。

MP3ファイルをダウンロード

2006年 02月 03日 知って得する情熱トリビア |