2006年9月29日 (金)

右か左か

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小橋昭彦

 あれは学生時代のことだったと思う。友人と話していて、こうすれば人の話を興味深く聞くことができるのだとひとつ発見した。それは、話を聞きつつ、心の中 で「なぜ」を見つけていくことだった。相手の話を、なぜそう考えたのだろう、なぜそうなるのだろうと、小さな疑問を重ねながら聞くこと。

 今でも時おり、少し別の視点からそれを応用している。

 たとえば、いつも変わらない駅のホーム。見過ごしてしまいがちな人並みに、「あの人は右利き、左利き、どちらだろう」という小さな疑問を重ねてみる。手の場合は比較的見分けやすい。売店で右手でお金を出した、傘を右手に持っている、右手でメモをとった。足の場合はどうだろう。階段を右足から踏み出したら、きっと右利き。耳にも利き耳があるようだ。ほら、携帯電話を左耳にあてた。ナイショ話に左耳を差し出した。目はどうだろう。鍵穴を覗くようなシーンがあればいいけれど、ホームではちょっと難しい。
 右か左かという疑問を重ねるだけで、風景がいきいきと立ち上がってくる。

 駅でしばし迷うのは、エスカレーターでどちらに立つかだ。関西では左を空け、首都圏では右を空けるとよく言われる。でも、新大阪駅で東京行新幹線に向うエスカレーターに乗るときは、どちらがいいのだろう。東西相互の行き来が増えて、関西での左空けが廃れてきた気がする。
 調べてみると、関西で左を空けるようになったのは、大阪万博がきっかけだという。電鉄会社が、左を空けるように駅で放送したのだ。右利きの人は手すりを右手で持つから、左空けがふさわしいと考えたと伝わる。

 今、右空けが主流になりつつあるとすれば、もともと日本人に、他人とすれ違うのは自分の左側より右側という慣れがあったせいかもしれない。車がそうであるように、日本では相手に自分の右側を行かせるのがルールになっている。これは刀を左側にさげていたからで、左側ですれ違っては剣がぶつかるし、いざというとき切りつけるにも、自分の右手に相手をおいた方がいい。騎士の国イギリスでも事情は同じと、百科事典にある。一方、アメリカが右側通行なのは、右腰に拳銃をぶらさげていたからという。日本で人が右側通行になったのはアメリカの影響で、第二次大戦後だ。

 右か左かといえば、キスをするときの悩みも尽きない。あなたは口づけの際、どちらに顔を傾けるだろう。
 実は、これをまじめに研究したドイツの学者がいる。駅ならぬ空港で、カップルのキスシーンを観察し、記録したのだ。結果は、124組のうち80組が右に顔を傾けたという。3組に2組だ。初めてのキスでどちらか迷えば、とりあえずは右に傾けておけば鼻がぶつかる失敗が少ないといえそうだ。

 右か、左か。ほんの小さな疑問が、日々をわくわくさせてくれる。ぼくは、こうした小さなわくわくの積み重ねが、自分を遠くまで運んでくれると信じている。
 たとえ小さくても、今日一歩を踏み出すことが、ぼくたちを情熱大陸に導いてくれる。

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2006年 09月 29日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年9月 1日 (金)

あくびと情熱

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小橋昭彦

 あくびの話をしよう。といっても、番組をみて、というわけではない。むしろいつだってすっと溶け込んでしまうのだが、実はあくびと情熱には共通点がある。そのココロは後で触れるとして、まずはあくびが伝染するのはなぜか、を考えよう。

 他人があくびをしているのを見て、つい自分までがふわぁっ。あくびはなぜうつるのだろう。同じ酸素不足気味の部屋にいるから、というわけではないようだ。ビデオ映像を通して他人のあくびを観ても、やっぱりうつるから。
 ただし2歳くらいまでは、うつらないという。鏡を見て、それが鏡と理解できるようになる時期とほぼ同じころ、あくびは伝染するようになる。

 さて、ここまでが、いわばヒント。
 謎解きに入る前に、逆に、なぜあくびだけがうつることを問題にされるのか、と問うてもいいかもしれない。だって、もらい泣きという言葉があるように、悲しい思いだって伝染する。わが家の2歳児は、コメディを見ているとき、二人の兄が笑ってから少し遅れて笑っている。笑いの意味をダイレクトに理解してというより、もらい笑いとでもいうのか、兄につられておもしろがっているようだ。
 人間には、人の思いをくみとって、自分に重ねて感じる能力がある。相手にも自分と同じように心があると信じ、その心に気持ちをあわせようとする。共感力とでもいうのだろう。

 人のあくびを見て自分もあくびをするのは、どうやらこの共感力のあらわれらしい。相手の気持ちに自分をそわせ、同じ行為をとってしまう。鏡を鏡と理解できるということは、他人と自分を区別できるということだ。だから、他人への想像力がはたらき、あくびが伝染するようになる。
 そんなわけだから、他人につられてあくびをこぼしている人を見たら、だらしないと嘆くより、共感力のある人とたたえるのが正しい、ともいえる。

 最後におもしろい実験をしてみよう。あくびの真似だ。できるだけ大きく口をあけてほしい。喉の奥まで開くつもりで、鼻の上をしわくちゃにして、目が隠れるほどに。
 ほら、真似だけのつもりが、ほんとのあくびになったのではないだろうか。人の姿を見て共感するのと同じく、自分の姿形からも、人は心を動かされるようだ。

 情熱ももちろん、伝染する。そんなとき、共感して心を振るわせるだけじゃなく、なにかひとつ、形からでいいから、その人の行動を真似してみてはどうだろう。それがいつしか、自分の内面を変え、あなた自身を情熱大陸の住人にしてくれるに違いない。
 番組を人生に生かす、ちょっとしたコツである。

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2006年 09月 01日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年8月 4日 (金)

人と人をつなげる情熱

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小橋昭彦

 泣かされるシーンはたいてい決まっている。それはけっして喪失や追憶ではなく、力を尽くしている主人公がいて、その姿に共感した人々がやがて集まり協力す る、そんなエピソードだ。人と人がつながる風景にぼくは、人間っていいなあと、ふつふつと感動する。そして自分も情熱を失ってはいけないと決意しなおすの だ。

 いま、国連事務総長に手紙を届けてほしいと頼まれたら、あなたならどうするだろう。飛び込みで送るのではなく、知人を介して届けるのがルール。まずは自分の友だちのうち、少しでも政治家あるいは国連職員に近そうな人を頼んで、手紙を預けるほかない。預けられたあなたの友人は、さらに自分の知人から国連事務総長に近そうな人を選んで送る。

 そのように人づてに運ばれる手紙は、いったい何人を経たところで国連事務総長に届くだろう。40年前、そんな実験をした心理学者がいた。ただしそのときの届け先は有名人ではなく、離れた町で働く株式仲買人。何人かの差出人を無作為に選び、友達を介して届けてもらうように依頼したのだ。
 ほどなく宛名人に届いたものもあったし、けっきょく届かなかったものもある。でも、おおむね5.5人を介せば相手に届くというのが、そのときの結果だった。人は、誰とでもおよそ6人でつながっている。その結果はとても魅力的で、その後何度も言及される実験となっている。

 最近になって、ネットワーク研究という新しい分野の知識によって、こうしたつながりについて、詳しく分析できるようになってきた。そしてときに世界は、誰もがつながることができる、とても狭い一面を見せることがわかってきている。狭い世界、スモールワールド。

 新しいところでは、電子メールを使って同じような到達実験が行われていて、短いステップで目的の人まで届くことも確認されている。でも、実は問題は別のところにある。それは、届かないメールがけっこう多い、むしろそれが大半ということだ。40年前の実験でも、届かないケースの方が多かったのだ。

 届かない理由は、途中で誰かが転送をやめてしまうからだ。めんどうだからやめるのか、どうせ届かないとあきらめてやめるのか、それはわからない。少なくともいえるのは、やめた時点でその人にとっての世界はつながらなくなるということ。
 世界を狭くするのは、人とつながろうとする、ぼくたちの情熱に他ならない。

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2006年 08月 04日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年6月23日 (金)

出アフリカについて

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小橋昭彦

 そもそも情熱って何だろう。
 そんなことを思う。もちろん、辞書にあたれば「燃えるような激しい感情」といった説明がある。たまらなく何かに向って進みたくなる思い、ひたすらものごとに沈み込んでいくいちずな感情、そうしたものを、自分自身経験したこともある。

 問いたいのは、そもそもなぜぼくたちは「情熱」を持っているのか、あるいは、持つことができるのか、ということだ。たとえば虫たちは「情熱」を持つだろうか。あるいは、魚たちは。

 さいきん、この問いに関連して思い出す言葉がある。「出アフリカ」という言葉だ。アフリカを出る。人類の起源についての考え方のひとつだ。

 今でこそぼくたちヒトは、ホモ・サピエンスといわれる一種しかいない。さみしいことだが、事実だ。しかし、ほんの何十万年か前までは、そうではなかった。 ネアンデルタールとして有名な種は、ぼくたち新人とは違った流れの種であったと考えられている。とすると、少なくとも当時のヨーロッパには二種類のヒトが いて、あるいは遠巻きに変な奴だなあと見ていたり、もしかすると多少の交流はあったかもしれない。そのころの様子は想像しがたいけれど、ぼくたちホモ・サ ピエンスが孤独でなかった時代として、ちょっとばかり懐かしく感じないでもない。

 さらにルーツをたどれば、人類の祖先にホモ・エレクトスと呼ばれる種があったことが知られている。およそ200万年前にアフリカで生まれた種族だ。その後彼らは、母なる大地を離れて、世界各地に広がり、ジャワ原人や北京原人として知られる子孫を残した。

 さて、ここからが問題だ。では、いまここにいるぼくたちは、それら原人から進化したのだろうか。つまり、ジャワ原人や北京原人がさらに東に進み、極東の地で進化したのが日本人なのか。同じように、世界の各地で原人から進化したのが、現代人なのだろうか。

 昔はそう考えられていた。でも、どうやらそうではない、というのが最近有力になっている。DNAを調べたところ、おおよそ15万年ほど前に、現在の人類共 通の祖先がアフリカにいたらしいということが明らかになってきた。つまり、ぼくたちホモ・サピエンスの祖先もまた、アフリカで生まれ、世界各地に広がって いったのだ。母なる大地を出て、世界に向う。それを、出アフリカと呼ぶ。

 つまり人類は、ホモ・エレクトスの時代とホモ・サピエンスの時代、少なくとも2回は出アフリカを経験したことになる。それがなぜかは、わからない。肉食を はじめたため、広い縄張りが必要になり、活動範囲を広げた結果とも言われる。いずれにせよ、ぼくたちの長い進化のルーツには、自分が今いる場所に安住せ ず、未知の大地を目指す思いがあったのだ。その遠くてはるかな道を思うと、外を目指すことは、ぼくたちが生きていくことにほかならないと、そんなことを思 う。そして、それこそがぼくたちの奥深くに埋めこまれた、「情熱」の源泉かもしれない。そう考えもするのである。

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2006年 06月 23日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年5月 5日 (金)

心の中の時間と情熱の関係

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小橋昭彦

 時間を忘れるほど何かに熱中した経験をお持ちだろうか。あるいは逆に、誰かを待っていて、1分が10分かと思うほど長く感じた経験は。

 迷子になったことがある。小学校にもあがっていなかった頃のこと。親戚のお兄ちゃんに連れられて友だちの家に行き、ちょっと待ってろと言われて、玄関先にいた。ところがいつまで経ってもお兄ちゃんが帰ってこない。待ちきれなくなって、知らないその街を、親戚の家目指して戻ろうとしたのだ。

 あのとき、待ったのはどのくらいの時間だっただろう。十分以上は待たされた気がする。しかし、おそらくは子供心に長く感じただけのこと、ほんの数分もなかったかもしれない。フランスの心理学者ポール・ジャネは、心理的時間は年齢の逆数に比例すると言っている。つまり、4歳にとっての1分は、40歳にとっての10分にあたる。

 心の中で時間を再生する実験がある。時計を見ないで、一定時間が経ったと思ったら、手をあげてもらう。一般に、大人より子どもの方が手をあげるのが早い。このとき童話を流しておくと、沈黙状態のときより、大人も子どもも早く手をあげる。話で気がまぎれ、時間の経過に注意が向かないのだ。

 このところ時間の経つのが速くなったと聞くことがある。それは、あなたが大人になったから、というのがひとつの答えだ。だけどもうひとつの答えとして、相手を待つといった空白の時間が少なくなり、時間の経過に注意を向ける機会が少なくなったから、とも言えないだろうか。

 それはつまり、時間あたりの情報密度がかつてないほど高い時代にぼくたちはいる、ということだ。次から次に、処理すべき情報がぼくたちを襲ってきて、空白の時間を埋める。
そんな時代に必要なのは、そう、あなたの中の情熱を高め、心のテンポを速めることだろう。こういう言い方をするとなんだかせわしないけれど、それはつまり、年とともに鈍った歯車を磨き、子どもの頃の時計を取りもどすということだ。
 そういえば情熱のある人はしばしば、「子どものようだ」とたとえられている。

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2006年 05月 05日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年4月 7日 (金)

ティラノサウルスに羽があった?

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小橋昭彦

ティラノサウルスには羽があった。
そう聞いて、驚かない人は少ないだろう。ティラノサウルスといえば、子どもに人気の恐竜だ。白亜紀に存在した、最大ともいわれる肉食恐竜。ワニのような肌をした想像図が馴染み深い。
そのティラノサウルスに、羽があったかもしれないという。

つまりこういうことだ。
鳥たちは恐竜から進化したという説が、今では広く信じられるようになってきた。しかし、その羽が鳥になって急に獲得したものとは、考えづらい。何かの原型的な進化があって、それが徐々に今の羽になったと考えられる。
では、いつからその原始的な羽が備わったのか。残念ながら、皮膚の表面は化石として残りづらく、その謎を追跡するのは難しい。しかし、もしかすると、ティラノサウルスの頃にはすでに原始的な羽が生えていたのではないかという説が、今注目されている。

もちろん、だからといってティラノサウルスが空を飛んだわけではない。
そう考えてしまうのは、ぼくたちの悪い癖だ。鳥の羽は飛ぶために進化したと、つい考えてしまう。でも、「飛びたい」という個体の思いが進化を起こすわけではないのだ。
実際には、初期の羽は貧弱なもので、とても飛ぶには使えなかったろう。そんな羽でも、おそらくは保温などの役にたつことで、生き残りに有利にはたらいた。それが世代を重ねるごとに立派になり、ついには空を飛ぶために使えるほどになった。

生物の進化をみていると、このように最初はなにか別の目的で利用されていたものが、後になって現在使われているような形で利用されるようになったというケースが、少なくない。
たとえばクジラは、独特の方法で音を聞く。下あごで水中の超音波を受け取り、耳骨に伝える、いわゆる骨伝導だ。いかにも水中で音を聞くのに適した仕組みだが、実際には、クジラがまだ陸上にいた頃すでに備わっていたとされる。地面に下あごをあて、地中を伝わる音を聞いていたようだ。クジラの耳は、水中で音を聞くために進化したのではなく、あらかじめあった仕組みを、別の目的で利用するようになったものだ。

こんなエピソードを思い出したのも、「情熱大陸」あってのことだ。情熱というとなんだかへヴィなイメージだが、実際に情熱のある人を見ていると、もっとしなやかに、今ある自分を受け入れ、時代に身を投じているようだ。
自分探しは現代のキーワードだが、じつは探している自分はすでに手の中にある。遠い未来を追うのではなく、今の自分を認め、活かす力が「情熱」と呼ばれるものの本質ではないだろうか。
やがて恐竜図鑑のティラノサウルスは、ちっぽけな羽毛を持って描かれるようになるかもしれない。そんなちっぽけな羽毛でも、それを受け入れ引き継いだからこそ、今、鳥類は空を飛んでいる。

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2006年 04月 07日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年3月10日 (金)

男脳、女脳

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小橋昭彦

 男脳、女脳についてご存知だろうか。

 一昔前なら、男と女で脳みそのはたらきが違うなんていうとお叱りを受けたものだが、最近では脳を画像でみる技術が進歩して、実際に動いているところを観察した記録が積み重ねられている。その結果、男と女ではやはりそれぞれに特徴的な脳のはたらき方があることが、わかってきた。

 たとえばこのコラムを聞いているあなたの脳。あなたが男性なら、脳は主として左側の半分がはたらいている。あなたが女性なら、右と左、両方がはたらいている可能性が高い。解剖学的にも、男より女の方が右と左の脳をつなぐ部分が大きいことがわかっている。そんな事実とも符合する結果だ。

 ここに、脳の左半球は言語や論理力を、右半球はイメージや感性をつかさどっているという定説を重ねよう。同じコラムを聞いても、男性は論理的に理解し、女性は感覚的に理解していると言える。あなたの身の回りでも、思い当たるふしがあるのではないだろうか。

 ところで、コラムではなく写真や映像の場合には、右と左が逆になる。男は右半球、女は左半球で処理する傾向がみられるのだ。右半球はおおまかな状況の、左半球は細かい情報の処理を担当するから、女性の方が細部までよく覚えていることになる。

 恋人や夫婦で一緒に見た映画の思い出を語ってみよう。えてして女は「どうしてあなたはあの場面を覚えていないの」と不思議に思い、男は「なんで大筋をつかんでいないんだ」と非難しがちだ。これも、脳の見地からすれば、しかたのないところといえる。

 情熱大陸には、毎週さまざまな人が登場する。夢を抱いた男性であったり、魅力的な女性であったり。それらを見ていて気付くのは、彼ら彼女らが、多くの場合こんな男脳、女脳の特色なんて超えたところで思考しているということだ。身のまわりの男たちよりずっと大局を見ている女性もいれば、女性以上に感性豊かな男性もいる。

 なるほど統計的には男脳、女脳と呼べる傾向がある。それは話としてはおもしろいけれど、ひとりひとりの心に芽生える情熱が生み出す個性差は、そんな傾向などかるがる超える力を持っているのだ。生きていく上では、この情熱が生む個性差の方が、ずっとずっとおもしろい。

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2006年 03月 10日 情熱大陸の雑学ノート |



2006年2月10日 (金)

悪夢

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小橋昭彦

夢を見た。

あまりいい夢ではない。ある人が何かの失敗をし、叱られている。ひと言、助け舟を出せばいいのだがそれができない。きつくきつく叱られて、ついにその若い人は涙をこぼし始める。というところで、目が覚めた。午前3時の布団の中で、苦い思いをかみしめる。 悪夢なんて見ないようにできないものだろうか。

もっとも、悪夢にもそれなりの効用はあるらしい。

人類は、悪夢をみる能力を持ったゆえに生存競争を生き延びてきたという仮説があるのだ。原始の時代、人類は外敵から逃れ、危険を避けることを考えてきた。しかし、いざとなると身体が動かないものだ。それを避けるには、あらかじめ場面を想定し、シミュレートしておくといい。スポーツ選手のイメージトレーニングと同じだ。想像の中で身体を動かし、本番に備える。

悪夢も同じ役割を担っていたかもしれない。猛獣を前にしたとき、昨夜夢の中でシミュレートした人と、まったく経験のない人とでは、身体の動きが違う。悪夢がほどよい予行演習になって、生き延びる可能性が高くなる。その積み重ねの結果として、現代人に悪夢を見る能力が引き継がれたというわけだ。

もちろん、現代では猛獣から逃げるためのイメージトレーニングは必要ない。しかし長い人類の歴史にとっては猛獣のいない現代生活なんて、まだほんの一瞬だ。何百万年にわたる生存競争を生き延びてきた歴史の中で培われた「悪夢を見る」という行動は、そうかんたんに失われるものではない。

街は日々姿を変える。昨日までの空き地に巨大な建設機械が入り、道路やビルが壊されては作られていく。そんな現代ならではの風景の中にあっても、あなたの内には確かに原始時代と同じ「夢の見方」が息づいている。

情熱大陸で紹介してきたトップアスリートたちも、僕たちと同じような悪夢を見るのだろうか。彼らだって悪夢を見ることで何らかの心の準備を整えて、成長し、挑戦し、結果を出すことに繋がったのではないか。そう考えれば、アスリートが僕らに見せてくれる「夢」の瞬間もまた違った見え方をするかもしれない。

そう思うと悪夢もまんざら悪いものではない、でしょ?

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2006年 02月 10日 情熱大陸の雑学ノート |