2009年11月20日 (金)

陶芸家・青木良太



重松 清

 こういうところが歳を取った証と言えば証なのだが、最近どうも、「伝統の殻を打ち破る風雲児」や「旧態依然とした世界に旋風を起こす若き俊英」といった若者に対して冷ややかな目を向けてしまうようになった。

 カッコよさは、もちろん認める。そもそも、くすぶりどおしだった自分の若い頃を振り返ってみると、ただただ素直に「恐れ入りました」と感服するのがオト ナの正しい態度だとも思うのだが……それでも、中年オヤジは若者より長く生きてきたぶん、勝負のスパンを長くとることもできる。颯爽と現れた若者を「さ て、五年後にもその威勢の良さを保っていられるかな?」という意地悪なまなざしで見ることができるのだ。

 10月25日オンエアの陶芸家・青木良太さんは、紛うかたなき風雲児であり、俊英である。番組ホームページの紹介文は〈頭にはターバンを巻き耳にはシルバーのピアス。およそ陶芸家らしくないスタイルで作品を作り続ける異色の陶芸家〉――じつを言うと、その一文を読んだとき、ははーん、なるほどね、と勝手に思い込んでいたのである。

 たいへん申し訳ない。まったくもって失礼な話だということは認める。しかし、本音である。〈およそ陶芸家らしくないスタイル〉を痛快だと思う一方で、「『らしくない』を売り物にしているうちは半人前だぜ」という思いも、胸の片隅には確かにあったのだ。

 たとえば僕のいる物書きという世界一つとってもそうだ。こう見えてもシゲマツ、編集者時代から数えればすでに二十六年のキャリアである。その間、たくさんの「風雲児」や「俊英」が登場して業界を湧かせた。しかし、五年、十年と第一線で活躍しているひとは決して多くはない。おそらく、それはどの世界でも同じだろう。「らしさ」を無批判に受け容れている若手は論外でも、「らしくない」だけが武器だと、やはり長くはもたないのだ。

 では、「らしくない」で打って出て、なおかつ、そこで五年、十年、二十年と活躍するひとの条件は――。

 答えは、青木さんの姿にある。青木さんがみごとに体現してくれていた。土に釉薬を混ぜて焼くという常識破りの方法を駆使する大胆さの一方で、釉薬の調合を0・2グラム刻みで試行錯誤するという細心さも忘れない青木さんは、また、ベテランの陶芸家にも素直に教えを乞う。知らないことは素直に「知らない」と言い、だからこそ、知ったときに目をきらきらと輝かせる。日本古来の伝統的な技法の良さを十二分に認めたうえで、そこに青木流のアイデアを加える……。

 番組の中ではニューヨークでの初個展の様子や、青木さんの焼き物が若いひとたちにいかに支持されているかも描かれていたが、僕がなにより「このひと、すげえ!」と感嘆したのは、「風雲児」でも「俊英」でもなく、一人の若手陶芸家としての謙虚で貪欲な姿勢が見える場面だったのだ。

 青木さんの「新しさ」は、「古さ」への敬意に裏打ちされている。だから、強い。
「らしくない」だけを振りかざして、駄々をこねるように伝統をやみくもに否定することのみで「新しさ」を強調するのは簡単だ。しかし、そんな「新しさ」は、いずれ(本人が思っているよりずっと早く)色あせてしまう。

 最後に残る「新しさ」とは、じつは「古さ」に背を向けるのではなく、それを呑み込んで先に進むことなのではないか。温故知新――いかにもオヤジらしい結論になってしまって恐縮なのだが、でもね、小説の世界でも、斬新な小説を書きながら長く第一線で活躍しているひとって、じつは皆さん、きっちり古典を読み込んでるんだぜ。

陶芸家・青木良太篇(2009年10月25日放送)

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2009年 11月 20日 読む情熱大陸 |



2009年10月23日 (金)

水泳選手・寺川綾



重松 清

「情熱」という言葉は、ちょっと誤解されているのではないか。かねがね思っている。たとえば「情熱的」というのは、エネルギッシュでパワフルな、要するに「勢いがいいこと」と同じような扱われ方をしているのだが、はたしてほんとうにそうなのだろうか?

 僕の考える「情熱」の定義はちょっと違う。グイグイ押していく勢いが衰えたり消えたりしたときにこそ問われるもの、それが「情熱」なのではないか……と、『情熱大陸』の感想文を6年半にわたって書きつづけてきた実感として思っていて、それは9月20日オンエアの寺川綾さんの物語に接することで確信へと変わったのだ。

 2004年のアテネ五輪で8位入賞を果たした寺川さんは、将来を期待されながら、長い不調に陥ってしまい、昨年の北京五輪は代表漏れして、一時は引退説さえささやかれていた。カメラはそんな彼女を追う。

 復活の物語――ジャンル分けするなら、本作はそうなるだろう。

 しかし、思えばそれは残酷な物語ではないか。復活を描くためには、その前の、沈んでいた時期をきちんと描かなければならない。たんに事実として紹介するだけでなく、本人がそれにまっすぐ向き合わなければならない。しかも、寺川さんが生きているのはアスリートの世界。「円熟」だの「ベテランの味」だのに逃げ込むことは叶わない。数字や順位という言い訳無用の物差しが待ちかまえている。そこには「必ず復活をはたす」という保証などなにもないのだ。

 今年のシーズンも、確かに一時は復活の兆しを見せていた。しかし、復活の物語のヤマになるはずの、7月の世界水泳選手権では惨敗……。

 アテネ五輪の頃の若さあふれる、怖いもの知らずの勢いは、もうない。経験を積むということは、怖さを知ってしまうということでもあるのだから。番組の中では十代の頃の寺川さんの映像も紹介されていた。インタビューに応えるはじけるような笑顔には、間違いなく若さの勢いがあふれていた。しかし、それをなつかしんでしまうわけにはいかない。現役のスイマーとして、「あの頃はよかった」だけは決して言ってはならない言葉なのだ。

 もちろん、寺川さんはそんなことは口にしなかった。代わりに、「このまま終わるわけにはいかない」ときっぱり言った。

 それこそが「情熱」なのだ、と僕は思う。勢いに任せて攻め上がっていくときよりも、むしろ正念場で踏ん張るときに求められるもの、そこから復活を期すために必要な力の源……寺川さん自身はそれを「意地」と呼び、僕は同じものを「情熱」と呼び換えているわけだ。

 寺川さんは国体で優勝した。かつての自分を彷彿させる若きライバルに競り勝っての、堂々たる復活である。

 番組としても、この優勝のおかげでひとまず復活の物語としてのハッピーエンドを迎えることができて、ホッとしている――というふうには思いたくない。それは結果論にすぎない。もちろん寺川さん自身のためにも、番組のためにも、復活の物語がハッピーエンドでまとまったことには最大限の拍手を贈りたい。しかし、たとえ残念ながら国体でも復活が果たせなかったとしても、寺川さんの真の「情熱」を番組はみごとに見せてくれた。それだけで素晴らしいことじゃないか。

 来シーズン、寺川さんは本格的な復活の戦いに挑むだろう。「このまま終わるわけにはいかない」――それは、挑みつづけるひとにとって、なにより「情熱的」な言葉であるはずなのだ。

水泳選手・寺川綾篇(2009年9月20日放送)

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2009年 10月 23日 読む情熱大陸 |



2009年9月18日 (金)

プロ・アングラー 児島玲子



重松 清

 愛し愛されているひとなんだな、と思った。

 8月2日オンエアの、プロ・アングラー  児島玲子さんの回である。

 プロの釣り師――思えば、ずいぶんややこしい職業である。「魚を海や川から捕えることで生計を立てる」という定義を使えば、漁師と同じになってしまう。「結果を出しつづけなければならない」というのも同様だろう。

 だが、言葉というのは不思議なもので、なにげなく遣い分けている言葉にこそ、しばしば本質がひそんでいる。児島さんの仕事は魚を「釣る」ことであって、 決して「獲る」ことではない。釣りの世界に「漁獲高」や「水揚げ」という言葉が遣われないのは、規模の問題ではなく、心の持ちようの問題なのではないか?  あるいは、漁業の世界でも一本釣りに特別なロマンをかきたてられるのは、僕たちがそこに「一網打尽」とはまったく逆の魚と人間との関係性を見ているから ではないだろうか?

 なんて、ガラにもなく(そしてかなりズサンな)理屈っぽいことを言ってしまった。要は、番組の中での児島さんの姿を見ていれば、それがそのまま答えにな るのだ。「釣り」とは、魚の愛し方の一つ――そう定義づければ、「魚を釣るまでは帰らない」「決してあきらめない」という児島さんのひたむきさが、すと ん、と腑に落ちる。

 もちろんプロとして結果を出さなければならない責任感もあるだろうが、画面に映った児島さんの姿は、もっと根源的な、というか、無邪気とさえ呼んでもよさそうな「まだ見ぬ魚との出会い」を待ち望むワクワクとした思いに満ちているのだ。

 たとえば、クロマグロを追って津軽海峡に赴く前、児島さんはミチ糸を何本もより合わせて太くする作業に余念がない。カメラはそのとき、足の親指まで使っ て作業をするところをしっかりと映す。実際の釣りは船の上でも、すでにそこから「釣り」という魚の愛し方は始まっているのだ、と伝えるかのように。

 釣り上げた魚を自らさばき、調理して、美味しく食べる場面もそうだ。「家を出てから帰るまでが遠足」ではないが、「釣り」とは、その前夜の期待と不安か ら始まり、「ごちそうさま」と言うまでの、まさに魚をとことんまで愛することなのかもしれない(そう考えると、「釣り」が英語でFISHINGと、魚その ものを指しているのも、なるほど、ではないか)。

 番組は、そんな児島さんの魚の愛し方を、子どもの頃の原点にまでさかのぼって描き出す。終盤、シロギス釣りに出かけた子どもたちの笑顔は、きっと少女時 代の児島さんとも重なり合うものだろう。と同時に、早世したお兄さんとのかかわりを「泣かせ」へと走らせなかったのは、プロとして生きる児島さんへの番組 からのリスペクトでもあり、エールの贈り方でもあったのだと思うのだ。そう、番組のつくり手だってドキュメンタリーのプロなのだから。

 児島さんの愛し方がたっぷり伝わったからこそ、愛され方にもリアリティが生まれる。番組中では何度となく「釣りの神さまに愛された」というニュアンスの ナレーションが出てきたが、おそらく、彼女を愛しているのは神さまだけではないだろう。プロ・アングラーの先輩やマグロの一本釣り漁師たち、さらには釣り 好きの皆さんが児島さんに向けるまなざしの優しさといったら! でも、彼女の愛に最も深く応えてくれているのは、やっぱり魚たちだろう。釣り上げられるの は魚にとっては当然不本意なはずなのに、水中から姿をあらわした魚たち、なんともいえず幸せそうに見えてくるのが不思議である。

プロ・アングラー 児島玲子篇(2009年8月2日放送)

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2009年 09月 18日 読む情熱大陸 |



2009年8月21日 (金)

小児外科医・吉岡秀人



重松 清

 フリーライターとして、女性週刊誌を舞台に「感動ルポ」と呼ばれるジャンルの記事を長年書きつづけてきた。立場はアンカーマン――記者が取材してきた データをもとに、ちょっとした短編小説ぐらいありそうな分量の記事を最終的に仕上げる、いわば物語の職人である。だから、いまでも、雑誌でもテレビのド キュメンタリーでも「美談」にはちょっとうるさい。批評家ヅラするつもりはなくても、題材を聞いただけで「ああ、おそらくこういう展開で、こういう言葉を つかって『美談』に持ち込むんだろうな」という見当はついてしまうのだ。

 その意味で、7月26日オンエアの小児外科医・吉岡秀人さんの回は、いささか危険な題材だった。なにしろ舞台がミャンマー。吉岡さんが救うのは子どもたち。しかも、治療費はとらないというのだ。カメラが吉岡さんのどんな姿を映し、マイクは吉岡さんの口から出たどんな言葉を拾うのか。そして、番組はそんな予想をどう覆してくれるのか……。

 まず、子どもたちの姿にたじろいだ。さまざまな病気や障害を抱えた子どもたちの、その病気や障害の症状をカメラはまっすぐにとらえる。徹底してリアルな光景を映し出すことで、「美談」につきものの、「悲惨すぎるものは見せない」というベールをはがしていく(逆に考えれば、「美談」とは、不幸せでさえ美しく見せてしまうところに「美談」たる所以があるわけだ)。

 手術中の吉岡さんの言動もそうだ。荒い。怖い。もちろん、その背景には、局所麻酔が効いているうちに手術を終えなければならないという事情があるわけだが、それにしてもわざわざそこを出さなくてもいいのに……と「美談」好きのひとなら鼻白んでしまいかねないリアリティである。

 だが、そこにこそ、番組の、ひいては吉岡さんの本気の覚悟がある。「いくら美辞麗句を並べたって……」と、「美談」に敢然と背を向けて吉岡さんは言う。

 さらには、吉岡さんも、吉岡さんを支える看護師も、決して「ミャンマーの貧しい子どもたちのために」という美辞麗句を前面には出さない。まずはなにより自分自身――「ここでこうやっていることが僕の幸せと直結している」と吉岡さんは言い、看護師もいまの毎日こそが自分自身の求める医療のあり方なのだと、きっぱりと言い切る。これが浅薄な「美談」なら、おそらく献身的な姿だけを取り出して、文字どおり滅私奉公のドラマを紡いでしまうだろう。だが、吉岡さんたちは「自分」を決して消さない。だからこそ信じられるし、明日からもその姿勢は変わらないんだろうな、という頼もしさも生まれる。そう、たとえ僕たちにとって吉岡さんたちの毎日は衝撃的なものであっても、当の本人たちは、それを日常として生きてきたのだし、これからも生きていくのだから。「美談」のつくり手は往々にして、物語のカタルシスを演出するために「いま、この瞬間」を強調しすぎてしまう。だが、当然のことながら、放送が終わってからもずっと、吉岡さんは子どもたちを診ているのだ。

 そして、吉岡さんの、もっと身近な「自分」――父親としての姿もカメラはしっかりとらえてくれていた。それがうれしい。しかも、決して物語の本筋からはずれた息抜きの場面ではない。小児科医が見つめるものは、病気や怪我や障害に苦しむ子どもたちと、親なのだ。暗闇の中に一筋の光を見つけて笑うミャンマーの親の笑顔に、めったに会えないわが子を風呂に入れる吉岡さんの笑顔が重なり合った瞬間、物語は「美談」を超えた感動を僕たちの胸に刻んでくれたのだった。

小児外科医・吉岡秀人篇(2009年7月26日放送)

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2009年 08月 21日 読む情熱大陸 |



2009年7月24日 (金)

南極観測隊 料理人・篠原洋一



重松 清

 時計を見ながら、ハラハラしていた。

 6月7日オンエアの篠原洋一さんの回である。篠原さんの職業は、南極観測隊の料理人――だが、篠原さんはなかなか出発しない。

 番組の前半は、出発前のさまざまな準備の様子を丁寧に伝えることに費やされた。その一つひとつのディテールは確かに興味深く、「南極で料理をつくること」の面白さと難しさとを、存分に伝えてくれていた。

 だからこそ、途中からちょっとだけ心配になったのだ。「密着取材」は『情熱大陸』の大原則だが、はたしてカメラは南極まで同行するのか……?

 もしも途中で密着取材が終わってしまうのなら、本番の篠原さんの奮闘をどんなふうに伝えるのだろう。最初から「これは出発までの物語です」と割り切ってしまう? それはそれで、なかなか斬新な構成になりそうなのだが、やはり物足りなさは払拭できない。しかし、いくらなんでも南極までロケをするというのは難しいだろう。もしもそうだとするなら、三十分番組の枠を丸ごと使っても足りないはずではないか。

 結果は、観測船に乗り込むオーストラリアまでで密着取材は終了、というものだった。それはまあ、そうだろう。ないものねだりはできないよな……と、「ないものねだり」という紋切り型の言葉をつい思い浮かべてから、気づいたのだ。

 どこにもないじゃん、そんなの。

 南極での篠原さんの姿は、本人が撮影したり、他の観測隊員に撮影してもらったりした映像で紹介されていた。ふつうなら、物足りなさはあるはずだ。少なくとも前半との落差や温度差が生じても当然のはずなのだ。

 しかし、それが一切ない。南極生活の断片しか見ていないのに、その断片と断片とをつなぐ「描かれなかった物語」もみごとにたちのぼってくる。

 なぜだ――?

 観測船が出港する前、家族との別れを惜しむ隊員たちの中で、篠原さんは一人だった。奥さんはあえて、篠原さんの船出が湿っぽくならないよう見送りに来なかった。その場面で、日本での我が家の場面がグッと活きてくる。寂しさについて奥さんが語った、凛とした、だからこそ切ない思いが、言葉だけでなく、確かな温もりをもって胸に迫ってくる。

 そうか、篠原さんは寂しさと引き替えに、夢を叶えるために旅立つんだ……と、篠原さんの情熱をあらためて噛みしめていると、篠原さん、『情熱大陸』のスタッフと別れの言葉を交わしたのである。ここがよかった。ほんとうによかった。申し訳ないが、密着取材のスタッフは決して「友人」というわけではないだろう。しかし、篠原さんは明るく振る舞いながらも、目を何度も強く瞬かせて、泣きだしそうな顔になる。船に向かって歩きだしてからも何度も振り返って、別れを惜しむ。 その場面で、スタッフは僕たち視聴者に篠原さんの人柄を伝えきったのだ。人なつっこくて、一途で、少しだけ強がりで……という篠原さんの人柄を、僕たちはしっかりと胸に刻んだ。だからこそ、南極から届いた映像を、懐かしい友だちの近況報告のような距離で受け止めることができたのだ。

 密着取材は前半まで――それはつまり、篠原さんの魅力を前半だけできちんと伝えなければならない、ということでもある。伝わったよ、確かに。岸壁での別れに際して、スタッフの一人が篠原さんに「帰ってきてくださいね」と声をかけた。縁起でもない一言ではあるのだが、オレでもそう言いたいよなあ……と思わせた瞬間、このドキュメンタリーは成功したのだろう。

南極観測隊 料理人・篠原洋一篇(2009年6月7日放送)

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2009年 07月 24日 読む情熱大陸 |



2009年6月19日 (金)

工業デザイナー・水戸岡鋭治



重松 清

 アーティストとアルティザンという対比がある。日本語で言うなら芸術家と職人――そのどちらが上かという話ではなく、二つの立場の違いを考えるにあたって、たとえばこんな言葉はキーワードにならないだろうか。

 きちんと――。

「仕事をきちんとやる」ということにどこまでの価値を置くかが、芸術家と職人の一番大きな違いなのではないか、と僕は考えている。

 芸術家の仕事は、もちろん「きちんと」できるならそれに越したことはないのだが、たとえ世間一般の感覚でいう「きちんと」が達成されなかったとしても、 できあがった作品がスゴいものであれば許される。しかし、職人への評価は、まずなにより、さまざまな制約を「きちんと」クリアしたかどうかで問われるのだ。

 5月10日オンエアの工業デザイナー・水戸岡鋭治さんは、「正しい」デザインを目指している、という。我田引水で恐縮だが、水戸岡さんのおっしゃる「正しい」もまた、「きちんと」と通底するのではないか。

 芸術の評価であれば、「正しい」と「正しくない」の線引きなどしてはならないし、しようと思ってもできないだろう。ゴッホの絵を「スゴい」と称える人はいても、「正しい」と呼ぶ人はいないのである。

 だが、そこに納期や予算の制約が加わるとどうだ。おのずと納期や予算を守るという「正しさ」が生まれる。さらに、クライアントを納得させられるか、ユー ザーが満足するか、という、いわば結果の物差しが加わると、それぞれに「正しさ」が生まれる。そういった制約付きの仕事を請け負う職人にとっては、「正し くないスゴい仕事」というのはありえないのだ。

 番組の序盤で、水戸岡さんは「デザイナーは芸術家ではない」と言い切った。いわば職人宣言である。

 もっとも、その一言だけで「なるほど」とうなずくわけにはいかない。「自分は芸術家ではなくて職人だから」というのは、ある意味では、紋切り型の決まり文句――デザイナーでも作家でも、売れっ子であればあるほど、そう言いがちなのだ。

 常に厳しい制約を課せられていることを自虐的に言う場合もあるだろうし、逆に「オレは芸術家のような世間知らずじゃないんだ」という自負から出てくる場 合もある。コンプレックスなのか反発なのか、どちらにしても、根っこには、芸術家という存在に対する過剰な意識があるわけで……そこが透けて見えた瞬間、 大いに鼻白んでしまうものである。

 だが、水戸岡さんはそうではなかった。職人の美学に酔うのでもなく、芸術家へのひねくれた負い目を抱いているのでもなかった。ただ「正しさ」を貫いていくだけ。クライアントとの打ち合わせでも、現場の職人さんとのやり取りでも……。

 スタッフもそんな水戸岡さんを「きちんと」正面から受け止めた。水戸岡さんの華やかな受賞歴などは最小限に抑え、むしろ無骨で一徹な職人魂を前面に出し た。ぎりぎりの納期や予算を守りつつ、現場の職人さんに妥協のない厳しい注文を出す水戸岡さんと、それでいて職人さんたちの心をつかんで離さない水戸岡さ ん――その両面に迫ることで、水戸岡さんの手がけてきた仕事の「正しくてスゴい」魅力が僕たちにも伝わったのだ。

『情熱大陸』のスタッフはほんとうに幸せだよな、と思う。プロ中のプロの取材を通じて、「仕事とはなにか」をさまざまに教えてもらえるのだから。今回のスタッフも、水戸岡さんの職人魂に触れたことで、それぞれの仕事観がちょっと変わったんじゃないかな?

工業デザイナー・水戸岡鋭治篇(2009年5月10日放送)

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2009年 06月 19日 読む情熱大陸 |



2009年5月22日 (金)

出張料理人・小暮剛



重松 清

 人物を評する言葉には、即効性のあるものと、あとからじわじわと効いてくるものとがある。

 寸鉄人を刺す辛口評や、思わず「うまいこと言うねえ」と膝を打ちたくなるようなものは前者――いわば、そのひとのことを一言でバシッと言い切って、フレームをつくってしまうわけだ。

 一方、最初はどうということがなくても、じわじわと存在感を増してくる言葉は、ミステリー小説のみごとな伏線のように、むしろ物語が終わったあとで「まいったね……」と大きくうなずきたくなるものである。

 どちらが正しいのかは、もちろん、誰にも決められない。ただ、僕も物語の語り手として日々実感しているのだが、どちらが難しいかと言えば、それはもう、間違いなく「じわじわ」のほうなのである。

 4月12日オンエアの出張料理人・小暮剛さんの回は、まさに、その「じわじわ」の心地よさに満ちていた。

 小暮さんが料理を学んだ大阪の調理師学校の恩師は、小暮さんのことを「決して器用ではなかったが、とにかく真面目だった」と評した。決して耳目を惹くような派手な言葉ではない。優秀だった卒業生を語るにあたっては、平凡きわまりない一言である。

 正直言って、拍子抜けした。この程度の答えをわざわざ残しておく必要はないような気もしていた。

 ところが、物語が進むにつれて、じわじわ、じわじわ、じわじわ、と恩師の言葉が耳の奥で大きく響きはじめる。

 自分の店を持たず、料理人としての腕だけを頼りに生きていく――そのプロフィールだけを見れば、もっと強気で、もっとクールで、もっとスマートにたちまわる姿を、つい想像してしまう。涼しい顔をしてスゴい料理を魔法のように次々に出してくる天才肌の姿が、つい浮かんでしまう。

 だが、そうではなかった。現実の小暮さんは汗びっしょりになって料理をつくっていた確かに料理人としての腕前は超一流なのだとしても、決して万事をさらりとこなしてしまうタイプではないのだろう。イタリアまで招かれての出張料理も、危うく大失敗に終わってしまうところだった。小学校の給食メニューを考えるときも、現場の栄養士さんとの間に微妙な摩擦が生まれ、子どもたちの反応を少々気弱そうにうかがう。だからこそ、料理を食べたひとの顔がほころぶと、小暮さんもまた満面の笑みを浮かべるのだ。

 不器用。真面目で、一所懸命で、一途。

 要するに誠実なのである。

 最初はコワモテだった小暮さんの笑顔がどんどん優しく感じられるようになってくると、紋切り型の褒め言葉のようにしか思えなかったあの一言もまた、響き方が変わる。番組の最後には「小暮さんを評する言葉は、これしかないじゃないか!」というかけがえのない強さをもって胸に迫ってくる。

 おそらく、番組のスタッフには自信があったのだろう。小暮さんの人となりは即効性のある強い言葉をつかわなくても、あの汗がすべてを語ってくれるはずだ、と。

 ならば言葉は最小限のものでいい。じっくり、ゆっくり、だからこそ深く、胸に染みていけばいい。まったくもって、そのとおりになった。伏線がみごとに効いて、心地よい「じわじわ」が堪能できた。

 ほんとうに大切な言葉は、じつはさりげなく置かれている。そして、自信のない言葉にかぎって、ひとは大きな声で、大げさに語りたがる――これって、なにも人物ドキュメンタリーだけの話ではないんだよね。

出張料理人・小暮剛篇(2009年4月12日放送)

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2009年 05月 22日 読む情熱大陸 |



2009年4月17日 (金)

生命科学者・上田泰己



重松 清

 科学者というのは、しばしば偏見にさらされてしまう。人間嫌いで社交下手などというのも、よくある先入観の一つだろう。あるいは、「専門分野にはやたら と詳しくても一般常識がない」とか、「夢中になってのめり込むと回りが見えなくなってしまう」とか、「自分だけの世界に閉じこもりがち」とか……まった く、さんざんな言われようである。

 そんなつまらない偏見の目を、3月1日オンエアの上田泰己さんの回は、気持ちよく吹き飛ばしてくれた。

 じつを言うと、次週予告の段階では、シゲマツ、腰が退け気味だったのだ。なにしろ上田さんは生命科学者――理系中の理系である。研究テーマの体内時計も、言葉としてはそこそこ馴染みがあっても、そのメカニズムや理論となると、いかにも頭が痛くなりそうではないか。根っからの文系オヤジとしては、勉強モードで観るしかない、と決めつけていた。

 ところが、番組は冒頭からじつにテンポ良く進んでいった。動きがある。イキイキしている。上田さんもカメラも研究室の中に閉じこもっているのではなく、とにかく外に出る。軽やかにあちこち動き回る。議論をして、講演をして、雑踏の中でノートパソコンのキーを叩き、コンビニに買い物へ行って……。

 確かに超多忙な毎日である。その忙しさを感じさせないぐらい、爽やかで朗らかなひとである。4年がかりの研究論文を学会誌に投稿するときでさえ、なんともにこやかでスマート。科学者のステロタイプとはまったく対照的なカッコよさに、ついつい「無精髭の伸びた顔も見たかったなあ」とないものねだりまでしたくなるのだが、おそらくこのドキュメンタリーは、意識的に「研究室の外の世界に出た科学者」を描いているのだろう。

 それを象徴するのが、上田さん自身が発したこんな言葉――「科学とは、人と人とのつながり」。

 文系オヤジは、この言葉を聞いた瞬間「まいった!」と深々と頭を垂れたのだ。番組のキモというだけでなく、科学の本質をこんなに魅力的に定義づけてくれた言葉を、僕はほかに知らない。

 そして、その言葉どおり、上田さんはほんとうにたくさんの人と出会っているんだなあ、とあらためて思うのだ。それも「横」のつながりだけではない。アメリカで科学者の大先輩を訪ね、滋賀県で現役の大学院生たちの相談に乗る――この「縦」のつながりというのは、まさしく精神のリレーではないか。

 33歳の若さで科学の最先端をリードする上田さんに憧れ、その背中を追って、もっと若い科学者や科学者の卵たちが走りだす。かつての上田さんもそうだった。だからこそ、憧れていた先輩科学者に会うときの上田さんの目の輝きは、上田さんと差し向かいで将来の夢と悩みを語る学生たちの目の輝きにも重なるのだ。

 思えば、3月放送分の『情熱大陸』には、そんな場面が多かった。

 作詞家・松本隆さんに作詞のオファーをした若手バンドの、緊張と喜びに満ちた表情。学生時代に所属していた演劇サークルの部室を訪ねた俳優・堺雅人さんを迎える現役の部員たちのはにかんだ表情。そして、ノーベル賞受賞者の益川敏英さんと小林誠さんを見つめる学生たちの頬を上気させた表情……。

 上田さんの言葉をアレンジさせてもらうなら、ドキュメンタリーもまた、人と人とのつながりを描くものなのだろう。もちろん、そのつながりはテレビの画面を通して、若い世代の視聴者との間にも成り立つ。上田さんの回を観て、「僕も科学者になろう!」と決めた子ども、きっとたくさんいるだろうな。

生命科学者・上田泰己篇(2009年3月1日放送)

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2009年 04月 17日 読む情熱大陸 |



2009年3月20日 (金)

漫画家・秋本治



重松 清

 友だちと回し読みしていた「少年ジャンプ」で『こち亀』に初めて出会ったのは、中学2年生の頃だった。連載の第一回目ではなく、正真正銘のデビュー作になる読み切りバージョンのほうである。

 ぶっとんだ。いわゆる「二頭身ギャグ」の幼さに物足りなさを感じはじめていた中坊にとって(いまなら「二頭身ギャグ」のカゲキさもよーくわかるのだ が)、絵はとことんリアルでありながらギャグはハチャメチャという『こち亀』は、まさに僕たちが待ち望んでいたマンガだったのである。あまりにも気に入っ たものだから、カネを出して「ジャンプ」を買った奴を拝み倒して、『こち亀』のページだけを切り取ってホチキスで留め、インクが裏写りしてしまうまで繰り 返し読んでいた。マジである。のちに『ちびまる子ちゃん』で花輪クンを知ったときだって、「『こち亀』の中川クンには負けてるよなあ」と思ったものであ る。

 そんなわけで、2月22日オンエアの秋本治さんの回は、あの頃の自分を「おい、秋本治さんが出てるぞ! 早く早く!」と隣に手招くような気分で観ることになった。

 中2のシゲマツは、「両さんを描いてるのって、こんなにマジメなひとだったの?」と驚いたはずだ。もちろん、週刊連載で33年間も休載なしという記録は心身の健康あってこそのものだとは思っていたのだが、ここまで徹底しているとは……。これはもう「真面目」ではすまない。「生真面目」なのである。

 世の中のことがなにもわかっていない中2のシゲマツは、最初はちょっとがっかりしてしまったようだ。なにしろ両さんの生みの親なのだ。もっと強烈なカリスマ性を持った(たとえば赤塚不二夫のような)作者だと勝手に思い込んでしまうのも無理はない。

 しかし、46歳のシゲマツの感想は違う。まったく正反対である。フリーライターの頃から数えれば24年近く原稿を書いて生計を立てている身には、秋本さんの姿は最高にカッコいい。プロ中のプロというのは、とことん「生真面目」なのである。中途半端な「真面目」ではダメだ。それではただの「面白みのないひと」になってしまう。「真面目」を突き抜けた末の「生真面目」――そこにこそ、プロの矜持があるのではないか。

「真面目」と「生真面目」の違いは、番組中に出ている。新作の取材のために浅草を訪れた場面である。車の中で秋本さんはクルーに向かって「カメラが回ってるとしゃべっちゃうから、しばらく黙らせて」というふうに言った。ここなのだ。「真面目」なひとは、カメラの前で気をつかって、ついたくさんしゃべってしまう。しかし、秋本さんはもうワンランク上の「生真面目」だから、『情熱大陸』へのサービスよりも新作の取材に集中することを選ぶ。おわかりだろうか。最初からカメラを拒むのではなく、きっちりと取材に協力したうえで、それでも最後の最後には(しかも申し訳なさそうに)作品づくりを優先させてほしい、と言うのだ。

 今回の作品は、大きなイベントが軸になっているわけではない。先週がそうだったように、そして来週もきっとそうであるように、連載をつづける今週をまっすぐに描いただけだ。淡々としている。飄々ともしている。それでも、なにごとにも飽きっぽい中2のシゲマツが、いつのまにか画面を食い入るように見つめていた。わかるよ。「真面目」なひとを描いただけのドキュメンタリーは退屈になってしまうが、「生真面目」なひとの一途な姿は、やはり胸を打つし、ユーモアも生まれるのである。それって、両さんの徹底ぶりとも似ているんじゃないかな。

漫画家・秋本治篇(2009年2月22日放送)

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2009年 03月 20日 読む情熱大陸 |



2009年2月20日 (金)

落語家・立川談春



重松 清

 言うまでもなく『情熱大陸』は30分番組、コマーシャルの時間を除くと、正味は25分足らずである。

 だが、その夜、僕は番組を観終わると大きく息をつき、時計に目をやって、新聞のテレビ欄を確認した。1月4日、立川談春さんの回のときである。観ている ときはあっという間だったのに、エンディングテーマが流れるときに胸に残るものは、ずっしりと持ち重りがする。小説で言うなら、小粋な短編を読んでいたは ずなのに、まるで上下巻におよぶ長編を読んだような読後感があったのだ。

「もしかしたら、お正月でもあるし、今回は時間延長のスペシャル版だったのか?」とさえ思った。しかし、時計を見ても、新聞で確かめても、やはりノーマルな長さである。後日、番組のスタッフから送ってもらったDVDでもう一度観たときも、感想は変わらなかった。もちろん作品の長さも同じ。だとすると……ちょっとこれは、新年早々、スゴいものに僕たちは出会えたのではないか?

 多少なりとも分析的に言えば、この作品、一本の強い柱が通っている。談春師匠の、師・立川談志師匠への思いである。それも、落語界の師弟の絆というだけにとどまらない、父親と息子という普遍的な関係にも通じる、太くてまっすぐな思いだ。

「父」はあくまでも厳しく、そっけなく、なにより大きい。「子」のほうはヤンチャで向こう意気が強く、作品の中で笑福亭鶴瓶師匠がつかった関西弁を借りれば「やたけた」な男である。だが、「父」にもやがて老いの日々が訪れるし、一方「子」は成長し、少しずつ、少しずつ、「父」に迫っていく。

 その微妙な関係を、カメラとマイクはみごとにとらえていた。目立たない場面だが、談春師匠が面談に臨んだ弟子の父親にあえて――かつて談志師匠がそうしたように、厳しい言葉をかける光景など、まさに「子」が「父」になりつつあるという象徴ではないか。

 さらに、より前面に押し出されたドラマがある。挫折からの復活という、これまた普遍性を持った強い柱だ。しかも、「父」の十八番だった『芝浜』をめぐって、一度は挑んだがはね返された壁に再び挑んでいく、というドラマである。「かつて挫折があったが、それを乗り越えていまに至る」という構図を、過去の回想として語るのならたやすい(というより、カメラを向けていないものは「あらすじ」でしか語れないのがドキュメンタリーの宿命である)。だが、この作品では挫折と復活が、リアルタイムの物語の中に組み込まれている。それも、談春師匠の談志師匠への思いというメインの柱にぴったりと寄り添うような形で……。だからこそ、わずか25分弱の作品が、その倍、いや三倍の長さの作品に価するほどの密度を持った。さらに密度があるからこそ、展開にスピード感も生まれる。かくして、「あっという間に観てしまう長編」という希有な作品が生まれたのである。

 ちょっと褒めすぎだって? でも、考えてみてほしい。談志師匠と談春師匠の、この微妙な距離感は、3年前にはなかっただろうし、3年後にも別の形になっているだろう。昨年末の独演会がたとえば3月開催だったらオンエアの時期をずらしてでも作品に入れるはずだが、逆に、談志師匠との二人会が密着取材の前におこなわれていたら……挫折は「あらすじ」でしか語れなかったはずなのだ。それを思うと、まさに一期一会。「師匠選びも芸のうち」と談春師匠が言うとおり、「タイミングも作品のうち」なのだ。そしてなにより、「いま」しか成立しない物語を、「いま」を超えた普遍性で描く――これもまた、優れたドキュメンタリーの条件なのだから。

落語家・立川談春篇(2008年1月4日放送)

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2009年 02月 20日 読む情熱大陸 |



2009年1月23日 (金)

WFP(国連世界食糧計画)インド代表・玉村美保子



重松 清

「なんとなく」国連に入ったのだと、ご本人はおっしゃる。12月14日にオンエアされたWFP(国連世界食糧計画)インド代表・玉村美保子さんの言葉である。気負いのない自然体、本音からの発言だろう。

 だが、その言葉に少しだけ、コラムの書き手からの世代的な感慨を寄せさせていただきたい。47歳という玉村さんの年齢が番組中で紹介されたとき、間もなく46歳になろうとする僕はうれしくてしょうがなかったのだ。

 1960年代初めに生まれた僕たちの世代にとって、「国連」という言葉は特別な響きを持っていた。もう二度と世界大戦を起こさないために、世界中の国家が集まって話し合う――そんな国連の理念に、子どもたちは胸をときめかしていた。思えば、『ウルトラマン』の科学特捜隊だって『ウルトラセブン』のウルトラ警備隊だって、世界規模の組織に属していた。科学特捜隊は国際科学警察機構の日本支部で、ウルトラ警備隊は地球防衛軍極東基地所属の精鋭部隊という設定なのである。世界が一丸となって平和を守るというという理念の国連もまた、「正義の味方」だった。それも、架空の物語ではなく、現実の。

 小説家の独断を許してもらうなら、「国連に入って世界のために働きたい」という将来の夢を持っていた子どもたちは、僕たちの世代が最も多かったと思う。それ以前の世代は「貧しい日本のために」のほうが現実的だっただろうし、さらにその前の子どもたちは「敗戦から立ち直る」ことのほうで精一杯だったはずだ。一方、僕たちより若い世代は、時代が下るにつれて、「正義」や「平和」の難しさやいかがわしさを子どもの頃から刷り込まれているような気がするのだ。

 もちろん、かつて国連に憧れていた子どもたちだって、いまはもう、そこまで無邪気ではない。国連はオールマイティーではないことだって、残念ながら、知っている。
だからこそ、玉村さんの姿に、心からのエールを贈りたくなった。インドの飢えや貧困に立ち向かう玉村さんの奮闘は、あの魅力的な笑顔でだいぶ隠されてはいるものの、決して順風満帆な戦いではないだろう。なにしろ数が多すぎる。また、貧富の差を生み出す構造的な問題だってある。2億人を超える食糧不足のひとびとに援助をどう行き渡らせるか、そして彼らをどう自立させていくか……。

 現実の「正義の味方」の物語は、宇宙人や怪獣のようなわかりやすい敵を倒して一件落着にはならない。先は長いし、問題の根は深い。3分間で怪獣を倒すウルトラマンとは違うのだ。玉村さんも――こういう言い方は誤解を招いてしまうかもしれないが、ご自分の在任中にインドの食糧不足の問題がすべてきれいに解決するなどとは思っていないだろう。

 私になにができるのか――。

 番組全体を貫いて流れる問いは、しかし、決して泣き言ではない。

 番組の終盤で、玉村さんは小さな村を訪れる。この村では、日本の援助で字の読み書きを覚えた女性たちがリーダーとなって、子どもたちを健康に育てるための環境づくりに取り組んでいるのだという。

 玉村さんは村の人々に語りかける。

「女性リーダーがおこなってきたことを、これからもつづけましょう」

 これからもつづけること――。
 そのための種を蒔くこと――。

 ほんとうの「正義の味方」の役目とは、敵を倒すことではなく、ひとびとの「未来への希望」を支えることなのだと思う。

 そういえば、国連に子どもたちが憧れていた時代は、21世紀という未来が光り輝いていた頃でもあったのだ。

国連世界食糧計画インド代表・玉村美保子篇(2008年12月14日放送)

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2009年 01月 23日 読む情熱大陸 |



2008年12月19日 (金)

大工棟梁・宮内寿和



重松 清

 職人気質とは、時代劇でおなじみの頑固一徹のみを指すものではない。偏屈、無口、ぶっきらぼう……そんな安直な職人像を、11月9日にオンエアされた宮内寿和さんのドキュメントは気持ちよくひっくり返してくれた。

 41歳。大工の棟梁としては若手だろう。角刈りでもなければハンテンを常に羽織っているわけでもない(そういう先入観が安直なのである)。確かに怒ると怖そうだし、お金儲けに走らないところは、なるほど、これぞ職人だろう。それでも、なにかが違う。どこかが違う。困難な仕事を、プロの矜持と卓越した匠の技で、みごとこなしていく――今回のドキュメントも、あらすじを書くなら、いかにも職人さんの回にふさわしいものになるだろう。しかし、番組が終わったあとに僕の胸に残った感動は、そのあらすじには収まりきらないところに根差しているような気がしてならないのだ。

 番組の中に、宮内さんが自分の手がけた家を同業者に披露する場面があった。素人目にもとんでもなく難しそうな工法を駆使した家である。それを披露するというのは、つまり、自分の編み出した新しいワザを公開するということである。しかも、同業者の一人が冗談交じりではあっても「真似しちゃおうかな」と言うと、宮内さんは大らかに笑って「どうぞどうぞ」とうなずいていたのだ。僕たちが安直に思い描く職人さんなら、きっと弟子にすら「ワザは盗んで覚えろ」と言うだろう。ましてや同業者に手の内を明かすなど……。いわば、ある種の「狭さ」こそが職人気質だと思い込んでいるわけだ。

 ところが、宮内さんは広い。スケールがデカい。人柄によるものも、もちろん大きいだろう(個人的には、宮内さんの奥さんは、ダンナ以上にスケールの大きなひとだと見た)。だが、さらにもう一つ、宮内さんの「広さ」をかたちづくるものがあるはずだ。

 番組の中で繰り返し強調されるのは、宮内さんの仕事や、仕事に対する姿勢である。材料や道具にこだわり、時には怒鳴りつけながら弟子に「大工魂」を叩き込み、伝統的な工法を現代によみがえらせて……。宮内さんの姿には、いにしえの物作りの精神が脈々と息づいている。

「古いもの=ダメなもの」「手間のかかるもの=ダメなもの」という高度経済成長期にかけられた呪縛から、いま、僕たちはようやく(まったく遅ればせながら)脱しつつある。だが、そのときに「お父さんの子どもの頃は……」程度の振り返り方だと、結局は懐かしさと、ちょっと身勝手な「古き良き時代」の捏造にとどまってしまうだろう。その意味で、番組の冒頭、「宮内さんの子ども時代こそが大量生産・大量消費の時代だった」と示したのは、番組スタッフの「単純な懐かしさではまとめないぞ」という宣言でもあったのかもしれない。

 宮内さんは番組の中で江戸時代に建てられた古民家の屋根裏に上がり、当時の名もなき大工さんたちの知恵に感心する。と同時に、自分の建てた家が200年もってほしい、とも言う。あたりまえの話だが、宮内さん自身は200年後には生きていない。自分の建てた家の行く末を自分の目で見届けることはできないわけだ。それでも宮内さんの目には、200年後もこの家が施主の暮らしを包んでいる姿が浮かんでいるはずだ。200年前の江戸時代の大工さんの叡智にめぐらせる思いは、200年後の未来へも伸びる。過去としっかり向き合えるひとは、未来もしっかり思い描ける。いわば現在を生きながら、未来と過去とを同時に見据えているわけだ。そこにこそ宮内さんの「広さ」の所以があるのではないか。

大工棟梁・宮内寿和篇(2008年11月9日放送)

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2008年 12月 19日 読む情熱大陸 |



2008年11月21日 (金)

ブックディレクター・幅允孝



重松 清

「カタカナ職業」という言い方がある。

 1980年代から90年代初めにかけて、要するにバブル崩壊のあたりまで、盛んに使われていた。いかにも時代や流行の最先端をいくオシャレな職業というイメージである。コピーライター、CMプランナー、アートディレクター、ハウスマヌカンなどが、その代表例だろうか。

 だが、そこには憧れと同時に、ビミョーな揶揄が含まれていたことも忘れてはならない。なにやら得体が知れないではないか。語感がオシャレなぶん、ウサン臭さもあるではないか。まったく新しい職業、いわばカタカナ・オリジナルだった場合には、特に。

 10月19日オンエアの幅允孝さんも、カタカナ職業である。ご自分でつくりだして、自ら名乗った、カタカナ・オリジナルである。ブックディレクター――番組予告でその言葉を目にしたとき、最初は「ブックデザイナーの間違いか?」と思ったし、「『編集者』をカッコよく言い換えたんだろうか」とも思っていたシゲマツなのである。

 ブックディレクターとは特定のテーマに沿った本を選んで本棚に並べる仕事なのだと知ったあとも、まず感じたのは――幅さん、スタッフの皆さん、ごめんなさい、「どうもアヤしい男だなあ……」という思いだった。

 もちろん、僕だって本の世界の片隅にいる男である。本を選ぶことや並べることには単なる趣味やセンスを超えた奥深さがあるのは、よくわかっているつもりだ(だからこそ、昔から「本棚を見ればその人がわかる」と言われるのだし、雑誌でも著名人の本棚拝見といった企画が定番になっているのだ)。また、個性的な棚づくりをして売り上げを伸ばしたカリスマ書店員も何人も存じ上げている。

 だが、本選びや棚づくりじたいをを「プロ」の仕事としてやっていくというのは……。

 中年オヤジの発想はまことに情けないもので、カタカナ・オリジナルの若い連中を見ると、まずなにより「マジに食っていけるのか?」と思ってしまう。「小遣い稼ぎ程度でプロのつもりになるんじゃねえぞ」と意地悪くつぶやいてしまう。それがまったくの(ヒガミ交じりの)言いがかりだったことは、オンエアされた番組を観ればよくわかった。なるほど、こういう需要があるのか、とビジネス・ドキュメントとしてもとても興味深かった。

 しかし、中年オヤジのツッコミはまだつづく。「いまはいい。でも、20年後や30年後は、この仕事はどうなってる?」――ブックディレクターの需要がいま以上に増えて、職業として認知されるのか、幅さんは第一人者でありつづけるのか、あるいは、すべてがその逆になってしまうのか……。これについては、僕にはなんとも言えない。

 それでも、彼ならだいじょうぶだよな、と思わせてくれるものが、幅さんの物語には確かにあった。幅さんは本を選ぶ前に読んでいる。そして、自分が少年時代に買った本や雑誌のことを、どこの本屋さんにどんなふうに売られていたかまで、ちゃんと覚えていて、それをほんとうにうれしそうに話してくれる。そのシーンを観たときに、ああ、このひとは信じられる、と思ったのだ。幅さんのカタカナ・オリジナルは決して見た目の新奇さだけを狙ったものではない。地に足が着いている。なぜ自分が本にかかわるかという根っこの部分が、ちゃんと、しっかりある。そこに担保されたカタカナ・オリジナルは、真の意味での「新しい仕事」になる。

 オレたちが思いつきもしなかった「新しい仕事」を切り拓く幅さん、がんばれ――と、中年オヤジはコロッと応援団に回ってしまったわけである。

ブックディレクター・幅允孝篇(2008年10月19日放送)

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2008年 11月 21日 読む情熱大陸 |



2008年10月24日 (金)

映画監督・木村大作、フライトナース・川谷陽子



重松 清

 全力疾走する二人の後ろ姿が、一週間を隔てて重なり合った。

 9月21日オンエアの映画監督・木村大作さんと、28日オンエアのフライトナース・川谷陽子さんの回――もう少し具体的に言えば、救急ヘリでの出動要請 を受けた川谷さんがヘリに向かって走る場面を観ていたのだ。5キロもある重い医療器具の入ったバッグを提げて全力疾走する川谷さんの背中に、木村大作さん が雪山の撮影現場で駆けだす背中が重なったのだ。

 文字どおり命を左右する緊急救命医療の最前線に立ち、ふだんの生活でもトレーニングを欠かさない38歳の川谷さんと、稀代の名カメラマンとして邦画界を50年にわたって支え、68歳で監督デビューをする木村さん。世代も分野も大きく異なっていても、二人の物語は、ともに「プロ」であることの誇りと矜持に満ちていた。それも、カメラに正面から向かって語る言葉よりも、むしろ無言の全力疾走の背中のほうが、ずっと雄弁に……。

 プロには「なぜ?」という問いは不要だ、と最近よく思う。エベレスト初登頂を果たしたヒラリー卿が「なぜ山に登るのか」と問われて「そこに山があるからだ」と答えた逸話は、しばしば禅問答めいた解釈で語られる。僕も若い頃には「カッコつけて、はぐらかしてるだけだろ?」とも思っていた。 

 だが、たとえば自分がプロの物書きとして取材を受けるとき、「なぜシゲマツさんは小説を書くんですか」と訊かれると、ほんとうに困ってしまうのだ。「書きたいから書く」としか答えられない。「書かなきゃいけないから書くんだよ、理屈なんて要らないんだよ」と怒りたくもなってしまう。まさに「そこに山があるから登る」なのである。

 川谷さんも木村さんも、それぞれ、ディレクターの質問にまっすぐに答えてくれていた。木村さんの愛ある毒舌はお馴染みだが、川谷さんのサバサバとした口調も気持ちいい。「なぜ映画を撮るのか」「なぜフライトナースになったのか」「なぜこんなにも映像にこだわるのか」「なぜこんなにキツいフライトナースの仕事をつづけていけるのか」……そんな問いに対しても、はぐらかしたり怒りだしたりすることなく、まるで自分自身の思いを確かめるように、きっぱりとした答えを返してくれている。

 そのスジの通った言葉に背筋を正されながらも、しかし、僕は思うのだ。「なぜ?」を突き詰めていけば、結局のところ、木村さんは「そこに撮りたいものがあるからだ」と答えるだろうし、川谷さんは「そこにわたしたちの治療を待っている患者さんがいるからです」と答えるだろう。

「だって、行かなければ(患者の命が)助からない」と川谷さんは言う。
「俺の生きていく道は映画しかないわけなんだよな」と木村さんは言う。

 行かなければならないから、行く。
 映画しかないのだから、映画を撮る。

 なんともシンプルで力強い姿勢の、その象徴が二人の走る後ろ姿だったのではないか。

 そういえば、長嶋茂雄さんにしても王貞治さんにしても、バッティングの極意を問われると、くだくだしい理論なんて言わなかった。
 来た球を打つ――。

 あるいは、ボブ・ディランはかつて言った。
 やらなきゃいけないことをやるんだ、だからうまくいくんだ――。

 プロに理由付けは要らない。バックボーンはシンプルであればあるほど、強い。
「悩んでる暇ない、って感じ」「あんまり迷ってる暇がない」と川谷さんは言う。そう、だから走ってるんだよね。

監督・撮影・木村大作篇(2008年9月21日放送)

フライトナース・川谷陽子篇(2008年9月28日放送)

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2008年 10月 24日 読む情熱大陸 |



2008年9月19日 (金)

女子レスリング・吉田沙保里



重松 清

 最初は、「ここで出すか……」と首をかしげてしまったのだ。

 8月31日オンエアの吉田沙保里さんの回の冒頭である。

 周知のとおり、吉田さんは五輪二連覇という偉業をなしとげたのだが、番組は物語の助走にあたる時点で、それをあっさりと明かした。確かに、国民的な話題と なった二連覇達成だけに、それを知らん顔して物語を始めるのは難しそうだ。そして、北京五輪閉幕からオンエアまで一週間というタイムスパンは、僕たちが二 連覇のことを忘れるには近すぎるし、その一方、「速報」の形で最終場面で五輪の結果を見せるには遠すぎる。

 そう考えると、「二連覇達成なるか」の興味で物語をひっぱっていくことは、ちょっと難しいし、嘘くさくもある。

 だが、この選択は、かなり危ない賭けにもなってしまう。二連覇達成を大前提にして、そこから逆算するような形で物語を見てしまうと、それまでの吉田さんの苦闘がすべて「金メダル獲得秘話」で終わってしまいかねないのだから。 

 五輪とオンエアの時間的関係からのやむをえない選択だったのか……と最初は思っていた。だが、いざ物語が始まると、なんのことはない、結果を知っているにもかかわらず、ドキドキしてしまうのだ。ハラハラしてしまうのだ。「なんとか金メダルを!」と祈ってしまうのだ。

 なるほど。スタッフには確信があったのだろう。吉田さんのひたむきさと明るさ――それをひっくるめて「魅力」と呼ぼう、彼女のその魅力があれば、視聴者はすでに知っているはずの結果を忘れて、1月のW杯で連勝記録が119で途絶えた女王復活のドラマに没入するはずだ、と。 

 まったくそのとおり。五輪直前に思わぬケガをして調整が遅れながらも、吉田さんは決してあせりや悲壮感をカメラの前では見せない。1月のまさかの敗戦の悔しさからも目をそらさず、アスリート仲間からの激励のメッセージを宝物だと言って見せてくれて、緊張感が一気に高まるはずの開会式のときでさえカメラを部屋に招き入れてくれる。あせりがないはずがない。悔しさをただ無言で噛みしめるだけの夜だってあっただろう。だが、われらが女王は気さくにカメラに笑顔を向け、スタッフに語りかけて、あくまでも明るく、爽やかに、闘いに臨む……。

 その明るさこそが女王の強さなのかもしれない。爽やかさこそが女王の誇りなのかもしれない。そして、誰よりも強く誇り高いからこそ、女王は――きっと、こんなにも優しくなれるのだ。 

 ラストシーン、いままでずっと部屋に置いていたW杯の銅メダルと新聞記事を、吉田さんは片づけた。しかし、北京で獲得した二連覇の金メダルを代わりに飾るわけでもない。まだロンドン五輪もある。闘いつづける日々は明日からもつづく。

 そうか、とシゲマツ、最後の最後に気づいた。このドキュメンタリーは「吉田さんが二連覇を達成するまでの物語」ではなかったのだ。「3歳からレスリングに魅せられた吉田さんが闘いつづけ、努力をつづける長い長い物語」の中から、番組はほんの200日を切り取ったにすぎない。あくまでも途中報告なのである。だからこそ、北京での金メダル獲得をもったいぶって後回しにする必要などどこにもなかったのだ。 

 レスリングの試合は「ピリオド」を先に二つ制したほうが勝ち――ピリオドは、一つの区切りであっても決して真の意味での終止符ではないのである。

女子レスリング・吉田沙保里篇(2008年8月31日放送)

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2008年 09月 19日 読む情熱大陸 |



2008年8月22日 (金)

ロボットクリエイター・高橋智隆



重松 清

「科学の子」という言葉は、もちろん、手塚治虫の(というよりテレビアニメの)『鉄腕アトム』から生まれた名フレーズである。7月13日に放送された高橋智隆さんの回のタイトルにも用いられていた。

 もっとも、『鉄腕アトム』のテレビ放送が始まったのは1963年のこと。「科学の子」の世代を厳密に考えるなら、33歳の高橋さんよりもっと上の世代――たとえば今年45歳のシゲマツあたりが、「純正・科学の子」の最年少になるだろう。 

 いや、なにもタイトルにイチャモンをつけているわけではない。むしろ逆、高橋さんのドキュメンタリーを観ながら、しみじみ痛感したのだ。「純正・科学の子」は、どうやら「旧世代・科学の子」になってしまったようだ……と。

 なにしろ肩書きが違う。ロボットクリエイターである。僕たちの時代、ロボットとは科学者がつくるものだった。大学教授でもいいし、マッド・サイエンテストすれすれのアヤしげな研究所の所長でもいいのだが、ロボットの生みの親はあくまでも科学者であり、もっと視野を広げれば、僕たちの「未来」は常に科学者によって左右されていたのである。 

 だが、高橋さんは違う。スポーツカーのトランクに無造作に「未来」を入れて、自作ロボットとともに世界中を飛び回る。風貌も、科学者の定番・白衣よりもTシャツがよく似合う。また、生身の人間(特に女性)には興味のないオタク科学者(オタクを差別するわけではないが、たぶん彼らのイメージの原型は「人間嫌いの科学者」だったのではないか?)とは違って、奥さんだっている。9年越しの恋愛を実らせたというから、きっと恋愛の情熱も相当なものだろう。

 要するに、「純正・科学の子」は、科学に負けていたのだと思う。ロボットは科学技術の粋を集めてつくりあげるもので、そこには最先端の研究所や最新鋭の機器が不可欠だと思い込んでいた。まさか、21世紀のロボットが、たった一人きりで、ふつうの民家の六畳間で、家庭用掃除機の風を使ってつくられているなんて……。 

 番組の中で触れられていたとおり、確かに高橋さんの仕事はアーティストと呼んだほうがふさわしい。そして同時に、後半のCM撮影のエピソードが示すとおりプロのロボットクリエイターとしての矜持と責任を持った職人であり、さらには講演に詰めかけた聴衆を魅了するエンターティナーでもある。決して科学に負けていない。高いレベルの理論と技術があるのはもちろんだが、その上に、高橋さんという人間がいる。高橋さん本人の魅力が、彼のつくるロボットの魅力につながる――ロボットクリエイターとはそういう存在なのだと、僕は勝手に解釈している。

 なるほど。頼もしいではないか。僕たちの「未来」をつくってくれるのは科学ではなく人間だというのがうれしいではないか。これこそが新時代の、新世代の「科学の子」というものである。 

 高橋さんは小説をいっさい読まないらしい。小説を書いている身としては少々フクザツではあるのだが、もしかしたら、高橋さんと僕たちは「ものをつくる」という広い意味では同業者なのかもしれない。高橋さんのつくるロボットは、「製品」でも「商品」でもなく、「作品」なのだから。

 そして、「自分の欲しいロボットをつくる」「ロボットが人を幸せにするかどうかはわからないけど、つくってる僕は幸せ」といった高橋さんの言葉は、「ロボット」を「小説」や「映画」に置き換えたら、作家や映画監督の発言ときれいに重なり合うのである。

ロボットクリエイター・高橋智隆

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2008年 08月 22日 読む情熱大陸 |



2008年7月18日 (金)

全日本女子バレーボール・竹下佳江



重松 清

 ベテランの力とは、いったいどういうものを指すのだろう。経験に裏打ちされたクレバーな戦術眼、数々の修羅場で培われた精神力、ここ一番での勝負強さ、あ るいは若手の育成、さらには目先の勝ち負けにとらわれない長期的な展望、あえて汚れ役や憎まれ役を引き受ける器のデカさ、現役として残された時間が短いか らこその執念……そんなベテランの力の中でも特に大きいのは、「悔しさを知っていること」なのかもしれない。

 6月1日オンエアの竹下佳江さんの回を視聴して、つくづくそう感じたのである。

 周知のとおり、日本女子バレーは北京オリンピックでメダルに挑む。その原動力の一つとなっているのが、キャプテンでもあるセッター・竹下さんの存在だ。

 日本代表が出場権を獲得したのは5月23日――スポーツマスコミが大騒ぎしたのは、いまも記憶に新しいところである。竹下さんを描いた『情熱大陸』は、そのお祭り騒ぎのさなかにオンエアされたことになる。 

 ところが、番組のトーンに浮ついたものは一切なかった。ナレーションにもあったとおり、とにかくめったに笑わないのだ、竹下さんは。特に髪をキリッとまとめてコートに立ったときの表情やまなざしは、撮影クルーも思わずたじろいでしまうのがわかるほどの、殺気とすら呼びたくなる迫力に満ちている。しかも、彼女の厳しさは、単純な「スポ根」ではない。もっと深い。もっと重い。番組はその深さと重さをさぐっていくのである。

 かつて世界に冠たる「東洋の魔女」だった女子バレー。男子バレーやサッカーと同様、かつての栄光の記憶が「いま」に与えるプレッシャーは相当なものだろう。特に竹下さんの場合は、メダルどころか出場すらできなかったシドニー大会の予選を戦っている。捲土重来を期したアテネ大会でもメダルには届かなかった。その悔しさに加えて、彼女の場合には、身長という、自分の力ではどうにもできない悔しさもある。テクニックやパワーをどんなに磨き抜いても、159センチの身長が180センチ台になることはありえない。そして、ネットを越えてボールを打ち合うバレーボールという競技は、どう考えたって背が高いほうが有利なのである。 

 そんな悔しさを背負いながらチームを北京へと導いた竹下さんのドラマを、番組はことさら美談仕立てにはしなかった。

「小さな巨人」という言葉があるとおり、スポーツドラマでは小柄な主人公が大活躍するのは定番である。そこに「大きな外国人選手に小柄な日本人が立ち向かう」という五輪ならではの物語を重ね合わせることも簡単だろう。しかし、番組は、五輪出場決定を物語のクライマックスにはしなかった。竹下さんの背負ってきた悔しさがこれで報われた、という終わり方にはしなかったのだ。

 出場決定の翌日、自宅にカメラを迎えた竹下さんが満面の笑みを浮かべていれば、なるほど物語はきれいにまとまっただろう。だが、現実には、彼女は笑わなかった。番組も、その意味をきちんと受け止めていた。

 戦いは終わっていない。いや、むしろ、ここからほんとうの戦いが始まる。番組は、竹下さんの悔しさを「解決」させなかった。彼女はまだ背負っている。だからこそ、五輪本番では、その悔しさがチームを支える大きな力となるはずだ。今回のドキュメントを「悔しさが報われた笑顔」でまとめず、「笑わないキャプテン」の姿をまっすぐに描いた番組は、北京での戦いに臨む彼女へ最大の敬意を払ったのだと思う。ベテランは、あくまでも現役選手――戦いのさなかにニコニコ笑うことなんて、ありえないのだから。

全日本女子バレーボール・竹下佳江

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2008年 07月 18日 読む情熱大陸 |



2008年6月20日 (金)

情熱大陸extra・ネクストジェネレーションの9人



重松 清

 500回――。
 1998年に始まって、ちょうど10年。

 サイクルの速いテレビの世界では押しも押されもせぬ長寿番組の仲間入りである。

 その記念すべき放送500回を記念した『情熱大陸extra』(5月25日オンエア)は、正直に言って、意外な内容だった。

 というのも、かねて「『情熱大陸』が500回記念の番組をやるらしい」というウワサを耳にしていたシゲマツ、その番組の内容を勝手にあれこれ予想していたのだ。

 たとえば、過去の名場面集や名言集で構成するか。あるいは、過去の放送からピックアップした何人かの「その後」を追うか。それとも、さまざまなジャンルでの1998年デビュー組の群像を描き出すか……。

 どれもはずれた。番組の内容がはずれたというより、それ以前に、500回というものに対する番組の意識を読み誤っていた。

 まさか、若手を出すとは――。

 アンダー25の、むしろ「これから」のひとたちの群像劇で勝負してくるとは――。

 せっかく500回ぶんの歴史があり、それをたどるだけでも番組は成立するはずなのに、番組はその財産にいっさい手をつけることなく、一般的にはまだ無名と言っていい若者たちを9名も並べた。500回という歴史の積み重ねを振り返るのではなく、逆にそれをリスタートのポイントにした。「過去」ではなく「未来」を見ているわけだ。

 じつはこれ、とても大きな賭けではないか。9名のコーナーをそれぞれ「プチ『情熱大陸』」にしてしまうと、どのひとに対しても中途半端な物足りなさが残ってしまうだろう。かといって「皆さんもよくご存じの……」という具合に僕たちの予備知識に頼って物語を先に進めるわけにもいかない。素人目にはどう考えたって時間内に収まりそうもない9名のドラマを、どう構成していくのだろう。

 はらはらしながらオンエアを待っていたシゲマツだが、トップを飾ったサッカー選手・澤昌克さんのコーナーを見終えたときには「なるほど、こう来たか……」とうなっていた。

 番組は9名の「過去」をあえて切り捨てていた。ひたむきに生きる「現在」と、その先にある「未来」だけを、しっかりと描き出していた。しかも、「過去」を描かないというのは、決して「時間の関係上」というようなネガティブな選択ではない。ここで、主役を20代前半の若者に絞ったことが活きてくる。つまり、いまの彼らには「過去」を振り返る必要などないし、また、「現在」に完全燃焼しているいまは、その余裕もないはずなのだ。

 それでいい。ひたすら前だけを見ている若い連中のまなざしの強さは、すっかり昔話が増えてしまったオジサンにはとてもまぶしく映るし、その姿勢は、500回記念でありながら過去の財産をあえて使わなかった『情熱大陸』の決意そのものにも重なり合うだろう。

 もちろん、「過去」の重石や裏付けのないドラマは、ややもすればただの決意表明に終わってしまうリスクもある。そこをビシッと締めてくれたのが、オジサン二人――桑田真澄さんとスガシカオさんの対談だった。まったくみごとな構成である。

 いまは「過去」を振り返る余裕はなく、だからこそ迷いなくまっすぐに情熱をぶつけている彼らも、やがて、ふと立ち止まる時が来るかもしれない。迷ったり落ち込んだりして、くじけそうにもなって、しかし、また前を向いて歩きだしたなら――そのとき、あらためて彼ら9名の物語をじっくり見せてもらいたい、と心から思った。

 

ってことは……これ、1000回記念に向けての大いなる予告編だったのかもしれない。

情熱大陸extra・ネクストジェネレーションの9人(5月25日放送)

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2008年 06月 20日 読む情熱大陸 |



2008年5月23日 (金)

お魚ライフコーディネーター・さかなクン



重松 清

 番組が始まって間もなく、意外なシーンが映し出される。決して物語の展開を左右するような場面ではないのだが、そのシーンによって物語はグンと深みを増してくれた。

 4月6日オンエアの、さかなクンの回――さかなクンの食事の場面である。

 カレイの干物を食べている。美味そうに頬張っている。

 これ、ちょっと考えたら、意外な光景である。なにしろ、さかなクンなのだ。魚をこよなく愛している彼が、食事のおかずに魚を食べるなんて……。

 だが、もうちょっと考えたら、「そうだよなあ」と大きくうなずきたくなる。さかなクンの魚への愛は、決して「こんなにかわいいお魚ちゃんを食べちゃうなんて!」というような偏狭なものではない。むしろ、食べて美味しい魚を美味しく残さずいただくことこそが、ほんとうの愛ではないのか。

 そして、よーく考えてみたら、この場面は、制作サイドの「宣言」にもなっているのではないか。ただのつなぎではなく、「さかなクンの魚たちに寄せる愛や情熱は、ちょっとハンパじゃないぜ」というメッセージをあの短い場面に込めていたのではないかと思えてならないのだ。

 その証拠に、さなかクンは、いわゆるマニアやオタクにありがちな愛と情熱の姿をことごとくくつがえしていくのだ。

 魚についてのなみはずれた知識を持っていながら、彼は決してそれを自分だけの世界に閉じこめてはおかない。しかも、自慢げにひけらかすのではなく、「お魚の世界はこんなに面白いんだ!」というメッセージを込めて、知識を「教える」のではなく「分かち合う」のだ。わからないことがあれば専門家に素直にどんどん訊く。新しく知ったことは、またみんなと分かち合う。マニアやオタクが陥りがちな閉鎖性とはまったく無縁なのだ。

 だから気持ちがいい。専門家も、漁師さんたちも、さかなクンの情熱に圧倒され(たぶん、あの甲高い歓声は、一日付き合うと数日間は耳にこびりついて離れないだろう)ながら、協力を惜しまない。「魚とさかなクン」に拮抗するバランスで「人間とさかなクン」の関係もたっぷり描いたスタッフも、決して彼を物知り博士としてとらえてはいない。まわりをどんどん巻き込んでいく情熱の持ち主として……スタッフもさかなクンのペースに気持ちよく巻き込まれていったんだろうなあ、と思わせてくれるような撮り方なのである。

 さらに、ごくごく短い紹介ではあっても、魚が大好きだった少年時代のさかなクンの「好き!」を受け止めてくれたお母さんの存在もいい。親の立場として、ほんとうに、すげえなあ、と思うのだ。僕たちはしょっちゅう子どもに言う。「好きなものを持て」「好きなことで生きていけるのは幸せだぞ」――だが、わが子の「好き!」が受験と関係ない世界に向けられたとき、あるいは、まわりのみんなと違う世界に向けられたとき、僕たちは素直に「よーし、がんばれ、応援するぞ!」と言ってやれるだろうか。言葉だけでなく、魚が好きで好きでしかたない息子のために、切り身ではなくお頭付きの魚を買いつづけたさかなクンのお母さんのように、行動で支えられるだろうか……。

 さかなクンの笑顔は、とことんまで屈託がない。まっすぐな情熱がまっすぐなまま伸びていったからこその笑顔だろう。そして、その笑顔は僕たちの気分まで明るくしてくれる。さかなクンがみんなと分かち合っている最大のもの――それは、魚の世界の面白さではなく、子ども時代の「好き!」をまっとうすることの幸福なのかもしれない。

お魚ライフ・コーディネーター・さかなクン篇(4月6日放送)

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2008年 05月 23日 読む情熱大陸 |



2008年4月18日 (金)

樹木医・荒田洋一/展示デザイナー・木下史青



重松 清

 2003年4月から始まったこのコラムも、今回で丸5年という長期連載になった。いまでは「毎週日曜日に『情熱大陸』を観る」というのがすっかり生活の サイクルに組み込まれている。プロデューサー氏からは毎月、1カ月分の作品を収めたDVDが送られてくるのだが、それはあくまでも原稿を書くための確認用 という位置づけである。「日曜日の夜」というオンタイムの視聴が持つリアリティを大切にしたいという姿勢でいままでコラムを書いてきたし、6年目からもそ うでありたいと思っている(ついでに原稿を書き上げるのも締切をきちんと守りたい……のだが)。

 しかし、今回は例外中の例外。DVDが届く前から「この2本をつづけて観たらどうなるだろう」と楽しみでしかたなかった。

 3月23日オンエアの樹木医・荒田洋一さんと、翌週30日オンエアの展示デザイナー・木下史青さんの2本である。決して「合わせ技で一本」という発想ではない。どちらもオンエア時に観て深い感銘を受けたからこそ、この2本をつづけて観ることでさらに感動が深まるのではないか、と考えたのだ。

 世界自然遺産・屋久島の樹木を守る荒田さんと、芸術作品をいかに美しく見せるかを考える木下さん――自然と芸術という対照的なフィールドでも、両氏の向き合うものの根っこは同じだ。荒田さんは番組の中で、樹齢1800年の杉の再生に取り組んだ。一方、木下さんの回の中心になったのは、1300年前につくられた国宝・日光菩薩と月光菩薩の展示だった。いずれも、向き合うものは「時間」――それも、人間の一生から見ると気が遠くなりそうな悠久の時である。

 1800年を生き抜いてきた巨木の寿命を延ばし、文字どおり「遺産」として未来へと受け渡そうとする荒田さんは、屋久島を訪れた観光客が杉を見上げて感嘆の声をあげるのをうれしそうに聞いていた。1300年もの間ひとびとを感動させてきた菩薩像の美に、最新の照明を駆使して文字どおりの「新たな光」を当てた木下さんもまた、展覧会を訪れたひとびとが菩薩像を食い入るように見つめる光景を、遠くからうれしそうに眺めていた。

 いや、そんな達成感や満足感ですら、二人の情熱のごく一部にすぎないのかもしれない。

 荒田さんの治療によって命ながらえた巨木は100年後のひとびとにも感動を与えるだろう。しかし、そのとき荒田さんは、この世にはいない。あるいは、菩薩像の美しさに胸震わせたひとびとの中で、その美しさを演出してくれた展示デザイナーの存在に気づくひとはごく少ないはずだ。

 それでもかまわない、と二人は迷いなく言うだろう。そもそも、そんなことなど思ってもいなかったと、きょとんとするだけかもしれない。目先の達成感や自分自身への称賛などにこだわってはいられない。なにしろ向き合っているのは悠久の時間だ。1800年間生きてきた巨木の命を、ここで断ち切ってしまうわけにはいかない。1300年間の歴史が降り積もった菩薩像の美を展示の失敗で損ねてしまうわけにはいかない。二人の仕事を真に称えてくれる相手は、もの言わぬ巨木や菩薩像――そして、悠久の時そのものなのである。

 荒田さんが番組の最後に口ずさんだ『明日にかける橋』は、そのまま翌週の木下さんのBGMにも使える。老若男女が博物館で憩う風景が好きだと言う木下さんの思いは、森の巨木や校庭の木に寄せる荒田さんの思いにもきれいに重なる。そんな二人のドラマをつづけて観ると、僕たちは「過去」から渡されたバトンを「未来」につなぐ役目を負っているのだと、あらためて噛みしめたくなるのだ。

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2008年 04月 18日 読む情熱大陸 |



2008年3月21日 (金)

ブックデザイナー・祖父江慎



重松 清

『情熱大陸』は、基本的には一人の人物を追いかけることで構成されるドキュメンタリーである。ところが、物語というのはフシギなもので、主役をひたすらク ローズアップするだけでは、ただの紹介VTRで終わってしまう。むしろ、あえてカメラを引いて、風景や人間関係の中にいるそのひとを描いたときにこそ、人 物像がより立体的に浮かびあがるものである。たとえば、ライバルや相棒の物語はその好例だろう。2月の『情熱大陸』――2月3日オンエアの祖父江慎さんの回も、みごとなライバル物語になっていた。

 と言うと、制作スタッフからは「え?」という意外そうな声があがるかもしれない。

 確かに、表面的にわかりやすいライバルとの対決の場面は出てこない。むしろ、祖父江さん独特のホンワカした雰囲気は、「対決」というトゲトゲしさとは正反対にあるべきものだろう。

 しかし、僕は確かにこの作品に「対決」を見た。それもプロとプロがお互いの誇りを賭けた緊張感あふれる死闘である。

 番組の中盤、本の表紙を裏返して製本するという常識破りのアイデアを出した祖父江さんに、印刷所はひたすら困惑する。祖父江さんのオフィスに直談判に訪れた印刷所のひとは、いかにも実直そうで、悪く言えば融通が利かなそうにも見える。彼らにとって祖父江さんのアイデアは、いままでの自分たちの仕事の常識をひっくり返す暴挙だったのだ。

 打ち合わせは、最初から最後まで祖父江さんペースで進んだ。さすが祖父江さん、自分のやりたいことを押し通すときにも、決してストレートに主張はしない。ある意味ではのらりくらりと、にこにこと愛想良く笑いながら、しかし断じて譲らないのである。最後は印刷所も折れた。「まあ、やってみますけど……」と、いかにも不承不承という感じだ。

 ブックデザインとは、頭の中だけでできあがるものではない。どんなに斬新なアイデアでも、それが一冊の本という具体的なモノに仕上がらなければ、なんの意味もない。はたして祖父江さんの自由奔放なアイデアは、実現するのか……。

 祖父江さんは印刷の仕上がりをチェックするために静岡県の工場まで出かける。待ち受けているのは、先日の印刷会社のひと。ちょっと疲れた様子で、決して愛想をふりまくわけではなく、それでもなんとも言えないイイ顔をしている。

 やってくれたのだ。祖父江さんの出した奇想天外なアイデアを、きちんと実現させてくれた。職人のワザである。さらには、自らミリ単位の微調整を申し出て、より完璧に近づけていく。職人の誇りである。祖父江さんの物語の中では、印刷会社のひとはあくまでも脇役である。しかし、その脇役の戸惑いがあってこそ、祖父江さんの発想のスゴさがわかる。そして、とんでもない発想を職人さんがみごとに形につくりあげてくれたからこそ、「本をつくること」そのものの面白さも僕たちにひしひしと伝わってきたのだ。

 まことに伸びやかで童心あふれる祖父江さんの魅力は、もしかしたら祖父江さん単独で描くと、かえって伝わりづらいかもしれない。とらえどころがなく、あっけにとられるだけで終わってしまいかねないのだ。

 どこまでも自由な天才肌の魅力は、実直で腕利きの職人さんと向き合うことで、より輝く。ひとつまみの塩が逆におしるこの甘みをひきたてるように、印刷会社のひとの生真面目さが心地よい対照の妙をつくってくれたのである。

 それにしても、あの印刷会社のひと、ほんとうに真面目だったなあ……。

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2008年 03月 21日 読む情熱大陸 |



2008年2月22日 (金)

建築家・迫慶一郎



重松 清

 具体的な形を持たない「情熱」を、身近なモノに譬えてみると――。
 僕なら、情熱とはバネのような形をしているのかもしれない、と答える。

 周知のとおり、バネはいったん縮まないと伸びることができない。負荷を与えられることが必須なわけだ。楽に、するりと伸びていくのではない。もしかした ら負荷が強すぎてひしゃげてしまうことだってあるかもしれない。それでも、グンと伸びるためには負荷は限りなく強くしなければならない。趣味のレベルの 「好き」とプロフェッショナルとしての「情熱」との違いは、そこにあるのだと、僕は考えている。

 実際、「逆境の中でがんばる姿」は『情熱大陸』ではおなじみの光景だし、その逆境がハードであればあるほど「情熱」の強さが際立つのも確かだ。

 しかし、それにしても……と、1月13日オンエアの建築家・迫慶一郎さんの回を観て、僕は何度となくため息をついた。中国で巨大プロジェクトを次々に手がける迫さんにかかっている負荷は、ちょっともう、ハンパなものではない。ナレーションにもあったが、観ているこっちのほうが胃が痛くなりそうな場面の連続である。

 商習慣や文化の違いだと言ってしまえばそれまでなのだが、中国のクライアントというのは、なんと横柄で、横暴で、自分勝手で、したたかなのだろう。「躍進をつづける中国で活躍する若き日本人建築家」というアウトラインから予想していた颯爽とした華やかさは、これっぽっちもない。なにしろ番組冒頭から、カメラはクライアントに無視される迫さんの姿をとらえているのだ。悔しかっただろうなあ、と思う。オフィスに戻っても、部下の仕事は決して完璧ではないし、夜食の弁当も注文どおりのものを買ってこないし……。

 いらだちが伝わる。それを超えてしまった脱力気味の苦笑も、こっちがいたたまれなくなるほどの臨場感で迫ってくる。だが、カメラは同時に、どんなにキツくても決してキレず、決してあきらめない迫さんのタフネスも映し出す。

 番組の中盤あたりから、僕はずっと「この物語にどんな『救い』を出してくるだろう」と考えていた。月に一度の帰国、家族との休息。なるほど。それは「あり」だ。しかし、その場面は意外なほどさらりと終わる。ならば、最後に「中国のクライアントも意外といいところあるんだな」というエピソードを持ってくるか……。

 違った。番組は、迫さんの情熱にかかる負荷を最後の最後までゆるめなかった。竣工間近のビルを見て、迫さんは「いままでの苦労を忘れる」「これがあるから建築はやめられない」と笑った。だが、それも達成感に満ちた安堵の笑顔というより、「これからの苦労」を覚悟した決意表明のように思えてならない。要するに、ハッピーエンドにはなっていないのだ。結果として、「中国で勝負をするっていうのは大変だよなあ……」という思いが残って、ちょっと収まりは悪くなってしまったかもしれない。

 だが、僕はそこに、中国で生きる迫さんへの番組からの最大級の敬意を見る。安易な救いの場面を用意して、おためごかしに負荷を軽くして番組を閉じるのではなく、むしろ逆に、タフな負荷をそのまま残しておくことで、迫さんの情熱のバネの強さを描ききったと思うのだ。

『情熱大陸』は、どの回も「完」や「了」では閉じられない。物語は常に「つづく」である。迫さんが最後に浮かべた笑顔は、そのことをあらためて思い起こさせてくれた。

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2008年 02月 22日 読む情熱大陸 |



2008年1月18日 (金)

女子大学長・坂東眞理子



重松 清

 正直に打ち明ける。

 最初は、決して好きなひとではなかった。

 いや、「好き」も「嫌い」もなく、そのひとのことはなにも知らなかった。ただ、そのひとが書いた本のタイトルに、ひっかかっていた。『女性の品格』―― 言わずと知れた2007年最大のベストセラーなのだが、その「品格」の一語に、たとえば「美しい国」とも通じる観念論のウサンくささを感じてしまったので ある。

 誤解だった。

 昨年12月23日にオンエアされた『情熱大陸』――坂東眞理子さん自身の「品格」は、徹底して具体的だった。現実的だった。日々の生活や、ニッポンの戦後とほぼ重なり合う坂東さんご自身の人生に、しっかりと根差したものだった。

 カメラは、忙しい坂東さんの日常を「ばたばた」ぶりを隠さずに伝える。マイクもオフ音をしっかり拾う。しーんとした静かな学長室で「品格」についてじっくりとうかがいます、というスタンスではない。坂東さんの髪の寝癖、ジャケットから取り忘れたクリーニング店のタグ、スーツ姿のままで手早くつくる盛り付け不問の大胆かつ豪快な料理、窓辺に掛かったままの洗濯物……カメラがとらえたディテールの数々は、一見、「品格」ブームの生みの親に対して「ご本人はどうなの?」というイジワルな問いを突きつけているように見える。しかし、決してそうではない。スタッフは正しく「品格」の真意を理解していたのだろう。だからこそ、「ばたばた」の描写がつづけばつづくほど、坂東さんの姿が魅力的になる。細い目でにこにこ笑う坂東さんの笑顔に惹きつけられる。そして、「品格」とは上から押しつけるお説教でもなければ、内実がからっぽの観念論でもないんだ、と気づかされるのだ。

 取材にあたっての坂東さんのフェアな覚悟を感じたシーンがある。坂東さんが学長をつとめる昭和女子大学での講義中のことだ。いかにもいまどきの(つまり「品格」がない、とオトナたちから批判される)女子大生たちは、坂東さんが教壇に立ってもざわざわしたままで、話をろくすっぽ聞いていないのが察せられる。すると、坂東さんは急に怒りはじめたのだ。特に目に余った学生に「出て行ってください」と命じたのだ。怒りを必死に鎮めるかのように水をごくごく飲みながら。

 私大の学長という立場を考えれば、そんな場面をカメラの前でさらすことは得策ではない。番組としても。ほんわかとした笑顔の坂東さんのイメージをくつがえしかねないこの場面の扱いは悩みどころだったのではないか。しかし、坂東さんはきちんと叱った。スタッフも、それをきちんと番組の中で使った。「品格」とは断じて世俗を超越したものではないのだ、と訴えるかのように。

 いや、実際、女性キャリア官僚としての苦労や、子育ての葛藤など、坂東さんは自分の弱い部分も包み隠さず明かす。働く女性、働く妻、働く母親……その喜びと苦しみを両方わかっているからこその「品格」なのだ。

 そして、いま、思った。僕が『女性の品格』を「読まず嫌い」していた最大の理由は、「男性の品格=生きざま」「女性の品格=行儀作法」というサイテーの区分けをしていたからではないのか……。

 自分のつまらない誤解を反省しつつ、こんなことも思う。『情熱大陸』というのは、もちろん、そのひとの「情熱」を描く番組である。それはつまり、そのひとの「素顔」を描くことでもある。寝癖のついた坂東さんの「素顔」はほんとうに魅力的だった。強い部分も、弱い部分も、ひっくるめて。

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2008年 01月 18日 読む情熱大陸 |



2007年12月21日 (金)

編集者・見城徹



重松 清

 なにごとにつけても処女はいい――なんて書き出すと、たちまち「セクハラ!」「すけべオヤジ!」と罵られてしまいそうなのだが、ここでの「処女」は「処女作」の意味。初めての作品である。どうか誤解のなきよう。

「処女はいい」というのは、僕自身が人物ルポの書き手として常に思っていることである。

 僕の原稿がそのひとを主役にした初めてのルポというケースが一番やりやすい。

 なにしろ比較対照するものが皆無なのだ。「この切り口は以前にも別の書き手が使ったんだよなあ」「このエピソードをぜひとも使いたいけど、他のルポでも印象的な場面だったしなあ」「パクリと思われたくないなあ」「シゲマツの作品のほうが負けてるじゃん、と思われたら、もっとイヤだなあ」……と思いわずらう心配などなく、ちょっと下品な言い方をするなら、そのひとについて描き放題なのである。

 ところが、さんざんルポが描かれてきたひとや、つい最近ルポに登場したひとを描くときには、「まだ使われていないエピソードはないか?」「まったく新しい切り口はないか?」というところから仕事を始めなければならない。しかも、たいがいの場合、キモになる話はすでに先行作で使われている……。

 11月25日オンエアの幻冬舎社長・見城徹さんの回も、スタッフは最初、大いに苦しんだのではないだろうか。見城さんは「非・処女」――それも、同じ2007年に自叙伝的なエッセイ集も出ているし、ほんの1カ月前にはNHK教育でも数回にわたって見城徹ヒストリーがオンエアされたばかりなのだ。

 もちろん、尾崎豊とのかかわりや幻冬舎設立のいきさつなど「定番」のエピソードもある。それを手際よくまとめれば、とりあえず「見城徹とはなにものか」の紹介はできるだろう。しかし、そのレベルにとどまってしまっては、面白くもなんともないではないか。『情熱大陸』によって初めて明かされる見城徹像を見せてほしい。だが、エピソードや語録を先行作でさんざん消費されたあと、それは果たして可能なのだろうか……?

『情熱大陸』の底力を見せてくれよ、という気分でモニターの前に座った。30分後、番組が終わると、底力に圧倒された。

 みごとだった。番組は先行作とはまったく違う視点から見城さんという人物を描きだした。そのキモになったのは、コンプレックス――ルックスに悩んだ青春時代、ホンモノの作家に触れて「自分はしょせんニセモノだ」と思い知らされた若手編集者時代……ベストセラーを連発する見城さんの活躍を支えているのは、華麗な人脈や時代を読む目だけではなかった。そのバネには、青春の普遍とも呼ぶべきコンプレックスがあったのだ。

「醜男」という言葉が頻出する高校時代の日記など、おそらくマスコミ初公開、門外不出のものだったはずだ。それを明かした見城さんもスゴいが、見城さんに「ここまで見せてやろう」と思わせたスタッフはもっとスゴい。きっと取材の過程で、見城さんはスタッフを信じることを決意したのだろう。いままで見せたことのない自分をきっちりカメラやマイクの前でさらそう、とハラをくくったのだろう。表面には出てこないそのドラマがあるからこそ、今回の作品は先行作のどれとも似ていない、まったく新しいものになったのだ。

 次に見城徹ヒストリーの新作をつくるひとは困ってしまうはずだ。『情熱大陸』の見城徹を超えるものをつくらなければならない。これ、そうとう高いハードルになってしまった。でも、がんばってほしい。文章のルポもテレビのドキュメンタリーも、先行作を乗り越えることでレベルを上げていったのだから。

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2007年 12月 21日 読む情熱大陸 |



2007年11月30日 (金)

プロゴルファー・上田桃子



重松 清

「根性」という言葉をひさしぶりに実感した。それもパロディやお笑いのネタではなく、真剣勝負で――まっすぐに。
 10月7日オンエアの上田桃子さんの回は、僕のようなオジサン世代にとっては懐かしさあふれるドラマだった。

 スポーツ新聞などで報じられるとおり、桃子サン、とにかく強気である。負けず嫌いである。正直に打ち明ければ、僕も最初は「ずいぶんキツそうな選手が出てきたな」と思っていた。いかにも優等生タイプの宮里藍さんや、お父さんへのツッコミが笑える横峯さくらさんに対し、桃子さんは――決して批判の言葉ではないとわかってほしいのだが、ちょっと不良少女っぽいイメージで、いわば女子ゴルフ界の「実力を兼ね備えたヒール」としての役回りである。

 そんな桃子サンのドキュメンタリーは、どんなスタンスになるのか。番組を観る前に考えていたのは、「気が強そうに見えて、じつは……」という展開になるのではないか、ということ。桃子サンの内側にある「弱さ」をあぶり出して魅力に迫るという方法論である。なるほど、それは確かに「あり」だろう。ただし、彼女はプロのスポーツ選手である。闘いつづける人生を選んだひとの魅力を「弱さ」を軸に描きだすと、本質からずれてしまう恐れだってないわけではない。

 では、『情熱大陸』は桃子サンにどこから、どうやって迫ったか――。

 僕の予想は、みごとにはずれた。カメラの前でも桃子サンは強気だった。負けず嫌いだった。ギャル語なのかヤンキー語なのか、いかにもいまどきの若者の言葉づかいで物怖じせずに語る姿は、「強さ」にあふれていた。

 しかも、なにかと物議を醸すことの多いビッグマウスの数々は、ただ生意気なだけの同世代とは明らかに違う。自分はゴルフで生きる、生きるためには勝ち抜く、勝ち抜くためには努力をしつづける……という覚悟がある。そして、その覚悟は、まっすぐにカメラを見据えるまなざしに確かに宿っていたのだ。

 全英女子オープンでの苦い敗北、帰国後の体調不良の中でつづけたラウンド、優勝のかかったパットの失敗……物語の中には「弱さ」につながりそうなものはいくつもあった。落ち込む姿や悩む姿、弱音を吐く姿を描き出していけば、強気一辺倒だけではない桃子サンの新たな一面を見せられるだろう。

 だが、番組はそれを選び取らなかった。ネガティブな状況の中でも「強さ」を――いや、「強さ」を目指す桃子サンの意志を描いた。

 その象徴が、障害を持つお姉さんにまつわる場面だった。安易なドキュメンタリーならもっと感情を揺さぶって、泣かせの場面に仕立て上げるはずだが、番組はそこを乾いたタッチでさらりと通り過ぎた。桃子サンの「強さ」には、美談や同情といったウェットなものはよけいなんだ、と言いたげに。そして、それに応えるように桃子サンもまた、ゴルフについて語るときと変わらない強いまなざしで、お姉さんを語っていたのだった。

 密着取材中に、桃子サンは優勝することができなかった。残念。本人もトロフィーを掲げる姿をカメラの前で披露できないことを残念がっていた。それでも、少女時代の桃子サンと同じように、ガキの頃には自分の部屋に「根性!」の紙を貼っていたオジサンは(そういうひと、同世代に多いはずだぜ)思うのだ。うまくいかないときにこそ「強さ」が問われる。それは意志の力だ。もっと強くなりたいと願い、そのために努力する意志を、「根性」と呼ぶ。苦しい場面の多かったドキュメンタリーは、だからこそ、すがすがしい「根性」の物語となったのだ。

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2007年 11月 30日 読む情熱大陸 |



2007年10月19日 (金)

作詞家・秋元康



重松 清

 ドキュメンタリーにかぎらず、作品づくりには「手の内」というものがある。

 たとえば僕の本職のフリーライターの世界なら、インタビュー記事の構成にも、音楽でいうならコード進行のような「手の内」は確かにある。二十年以上この 世界にいる僕は、そのあたりの「手の内」はよくわかっているつもりだ。だから、たまにインタビューを受けるときも、「こういう展開になるだろうな」という 予測はつくし、逆に「俺ならこうするけど」「俺ならこんなふうにはしないけど」という注文も出てくる。若いライターさんにとっては、まったくもって扱いづ らいヤツなのだ。

 もちろん、僕だって自分の専門外のことについては「手の内」などなにも知らない。テレビのドキュメンタリーに出るときも、基本的にはすべてお任せである。『情熱大陸』に登場するほとんどのひとはそうだろう。

 だが――9月30日オンエアの秋元康さんは違う。「手の内」のプロ中のプロ、というか、80年代以来、数多くの斬新な「手の内」を編み出すことで時代を動かしてきたひとである。当然、テレビ番組のつくり方は知り尽くしている。そんなひとを描くというのは、いわば秋元さん自身の「俺ならこうするけど」「俺ならこんなふうにはしないけど」と真っ向から勝負することでもある。

 そんな秋元さんを満を持して描くには、おそらく二つの方法論があるだろう。一つは秋元さんの「手の内」にすっぽりと載せられて、「秋元康による秋元康」を見せる方法。そしてもう一つは、あえて秋元さんの「手の内」を封印して、あくまでも被写体として描き出す、というもの。どちらも面白そうだが、それぞれにデメリットもある。前者だと第三の目で見る批評性が失われてしまうし、後者だとせっかくの秋元康らしさを最初から放棄した格好になりかねない。

 さて、『情熱大陸』はどう描くだろう……と楽しみにしてオンエアを観た。

 まいった。スタッフは僕の浅薄な予想をみごとにくつがえしてくれた。番組の中盤、秋元さんの「俺ならこうするけど」をはっきりと僕たちに示しながら、しかし、そうではない構成で番組をつくりあげた。つまり、幻の「秋元プラン」と実際の番組とを、僕たち視聴者にプレゼンしたわけだ。

 もちろん、秋元さんも自分のプランを押しつけたりはしない。むしろ「お手並み拝見」という形で、自分のプランが崩されるのを楽しみにしていたはずだ。

 そして、そのプロ意識に応えるかのように、番組は最後に「自分の出ている『情熱大陸』を観る秋元康」を映し出した。編集中のテープを秋元さんに見せて、感想を訊いた。ドキュメンタリーをつくるというドキュメンタリー、メタレベルでの構成にして、二重三重に秋元さんの凄みを伝え、なおかつ秋元プランに乗らなかった番組のオリジナリティを強烈にアピールしたのだ。

 意地――という言葉は、しばしばひねくれた感情と同義になってしまうものだが、ここにあるのは、どこまでもまっすぐで気持ちいいドキュメンタリーのプロの意地だった。

 幻の「秋元プラン」と実際の番組の、どちらがほんとうは面白かったのか。その答えは永遠に出ないだろう。正解などないのが、ものをつくるということなのだから。

 編集されたテープを観た秋元さんは「自分のプランよりこっちのほうが面白かった」とは言わなかった。しかし、「俺ならこんなふうにはしないけど」とも言わなかった。互いに認め合ったプロ同士の緊張感と敬意が交錯する、名場面だった。

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2007年 10月 19日 読む情熱大陸 |



2007年9月21日 (金)

絵本作家・中川ひろたか/海人写真家・古谷千佳子



重松 清

 個人的な話で恐縮だが、この八月、小説を書きはじめて十六年になった。生まれた赤ん坊が高校二年生になるという計算だ。フリーライター時代から通算する と二十一年――人生の半分近くを文章を書いて生きてきたということになる。仕事量も、ライターとしても作家としても、まあ、そこそこ以上にはこなしてきた という自負はある。質について胸を張れないところが我ながら情けないが、とにかく長年やってきた。さまざまなコツも覚えてきたつもりだ。

 だからこそ、思う――オレ、なんのために小説を書いてるんだろうな。「締切があるから」とか「生活のために」という理由を超えて、もっと大きな意味での話だ。「書く」ことに慣れてしまって、どこか惰性になっているんじゃないか、と最近落ち込み気味なのだ。

 そんな八月――『情熱大陸』でオンエアされた二本の作品が、ものをつくる人間としての姿勢をビッと正してくれた。五日放送の絵本作家・中川ひろたかさんと、十九日放送の海人写真家・古谷千佳子さんの回である。

 中川さんは子どもたち、古谷さんは沖縄のおじいたち、向き合う相手は対照的でも、二人はともに確かな「原点」を持っている。中川さんは若い頃に保育士として幼稚園で働き、古谷さんは写真家になる前は漁師として海に出ていたのだ。中川さんは子どもたちに読み聞かせをしてきた体験から絵本のすごさを知り、子どもたちのよろこぶ絵本を自分でも書こうと決めた。古谷さんは沖縄の海で生きるおじいたちに魅せられ、いずれは時代の流れとともに消え去ってしまうはずの彼らの姿を残しておきたいという一念で写真を学んだ。

 そして、二人とも、その「原点」をいまも忘れていない。中川さんの絵本は国内外で高い評価を受け、古谷さんも雑誌やウェブの第一線で活躍している。だが、そういった社会的な成功は、むしろおまけのようなものなのだろう。スタッフが「将来の夢や目標は?」と質問したら、二人は異口同音に「いまと同じことをやっていきたい」と答えるはずだ。中川さんの場合は子どもたちの歓声やわくわくとしたまなざしが、古谷さんの場合は、年輪のような皺が刻まれたおじいたちの笑顔が、「原点」にして「到達点」――それがまぶしくて、うらやましい。ああ、ものをつくるよろこびって、これなんだよなあ……。

 二人には迷いがない。ヘンなてらいや気取りもない。「なぜ絵本を書くのか」「なぜ写真を撮るのか」――二人には、はっきりと見えている。だから、ブレない。揺るがない。

 良質なドキュメンタリーには「揺れ」や「迷い」がスパイスのように効いているものだが、この二作、どうやらスタッフはあえて「揺れないこと」「迷わないこと」のまっすぐな爽快感を選び取ったようだ。結果は――大正解。政治からなにから「迷走」つづきの二〇〇七年夏、どこまでもストレートな二人の物語は、まるでもぎたての果実にかぶりつくようなみずみずしさがあった。そして、五十三歳の中川さんが幼稚園に通う子どもたちと向き合う姿、三十七歳の古谷さんが七十代や八十代、はては九十代のおじいたちと言葉を交わす姿から、きっと僕たちは多くのことを学べるはずなのだ。

 二人はよく笑う。笑顔がいい。こんなに笑顔の多い『情熱大陸』も、そうざらにはないだろう。その笑顔に励まれて、心身ともに夏バテだったシゲマツ、だいぶ元気になった。
 いや、それは僕がものをつくる人間の端くれだからというだけではないだろう。サラリーマンの皆さん、学生の皆さん、おとな、若者、子どもたち……あなたは自分の「原点」を見失ってませんか?

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2007年 09月 21日 読む情熱大陸 |



2007年8月17日 (金)

医師・村上智彦



重松 清

 「未開地」という言葉が、主役の口から出てきた。それを受けて、ナレーションも「長い戦い」という表現をした。

 財政破綻した夕張市で、民営化された市立病院の再建のためにやってきた医師・村上智彦さん――いわば、市の救世主は、夕張市民の医療や健康に対する意識を、苦笑交じりにあっさりとそう言い切ったのだ。

 かなりの辛口である。番組を観ていた夕張市民の中にはムッとしてしまったひとだっていたかもしれない。

 だが、僕はその一言で、村上さんという医師と、7月22日にオンエアされた番組じたいのことを、「信じられる!」と強く確信したのだった。

 ドキュメンタリーと医療は「相性」がいい。時には社会や時代のひずみを告発するために、時にはもっと身近な(だからこそ切実な)まなざしで命を見つめるために、時には忘れられかけていた「医は仁術」を思いだすために……医師を主役にしたドキュメンタリーは、ほんとうに数多くつくられてきた。きっと、『情熱大陸』のアーカイブスの中でも「医師モノ」の回数はかなり上位のはずだ。

 しかし、作品が数多くつくられれば、自然と「定型」も確立してしまう。それは、じつは怖いことではないのか――?

 正直に打ち明けると、今回の番組はまさに定型にぴたりとはまりそうな予感がしていた。危惧と言ってもいいかもしれない。「財政破綻した夕張市」「社会的弱者としての高齢者や患者」「私生活を犠牲にしても地域医療に取り組む医師」「長く険しい道のりであっても灯しつづける希望」……キーワードを並べていくと、まさに「現代の赤ひげ」物語が定型どおりに進んでいきそうではないか。たとえ番組を観ていなくても、なんとなくストーリーが浮かんでくるはずだ。そして、そのストーリーは、きっと「定型の感動」を呼び起こしてくれるだろう。

 だからこそ、つくり手の姿勢が、いや覚悟が問われるのだ。「定型」をとりあえずなぞるだけでも、そこそこの完成度が見込めるからこそ、それをどう打ち破っていくか。

 冒頭にご紹介した村上さんの辛口の一言は、まさに、今回の番組が「定型」に甘えなかったことの証ではないか。

 夕張のひとたちを無条件に「いいひとたち」として描くのではなく、そこにある微妙なひだにまで踏み込んでいく。村上さんの描き方もそうだ。地域医療に携わる医師は、ともすれば献身や自己犠牲というウェットな面だけで語られがちである。実際、村上さんも単身赴任をつづけ、親の死に目にも会えないことを覚悟している。医師としての診療の姿勢も人情味にあふれている。しかし、番組はそこをきちんと押さえながらも、甘えない。「定型」どおりの物語を展開するのではなく、病院の再建を任された経営者としての村上さんの側面を、あるいは予防治療の普及や啓蒙に努める側面を、診療以上の重みと熱さを持って描いてくれた。

 そしてラストシーン――10年後には夕張にいない、と村上さんは言い切った。後継者を育てて、また別の町で地域医療に取り組むのだと。そこには「その地に骨を埋めるかどうか」という地域医療にお決まりの葛藤の代わりに、もっと強く、もっと熱い決意がある。

 もちろん、それらの「定型」破りは、村上さんの文字どおり「枠にはまらない」魅力があってこそのものなのだが、その魅力をお涙ちょうだいの「定型」に押し込めなかったスタッフにも大きな拍手を贈りたい。夕張という町が、「同情」という「定型」で語られどおしのいまだからこそ――。

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2007年 08月 17日 読む情熱大陸 |



2007年7月27日 (金)

水族館獣医・植田啓一



重松 清

 僕たちは、いったいいつから動物を「かわいい」や「かわいそう」で語るようになってしまったのだろう。6月17日オンエアの、沖縄・美ら海水族館の獣医・植田啓一さんのドキュメンタリーを観ながら、そんなことをふと思った。

 植田さんの「患者」はイルカ――「かわいい」や「かわいそう」が特に似合う動物である。僕たちは彼らが「生身の生き物」だということを忘れてしまい、妙に愛らしく擬人化して、いわばディズニーの世界の住人のようにファンタジックな存在にしてしまうのだ。

 だが、植田さんが相手にしているのは、あくまでも「生身の生き物」としてのイルカである。番組の前半は、そんな植田さんの見ているイルカと、僕たちの思い描くイルカとのギャップを教えてくれる。採血のあとで脱脂綿ににじんだ赤い血を見て、一瞬「えっ?」と思ってしまうひとはいるだろう。イルカも歯肉炎を起こしたり、風邪のような症状になったりするんだと知って、びっくりしてしまうひとだっているはずだ。少なくとも――恥ずかしい話だが、僕は、そうだった。

 ずいぶん身勝手なものだな、とあらためて思う。それをたぶん、植田さんは優しく「感情」と言い換えてくれたのだ。「感情で動物が救えるんだったらなんでもしますよ。でも、それはなんの足しにもならないから、それは要らない」――「かわいい」とか「かわいそう」といった「感情」の言葉を、植田さんは医師として否定する。「感情」の言葉を脱ぎ捨てたあとに残る「生身の生き物」としてのイルカの命と向き合うことこそが、医師の仕事なのだから。

 番組の後半、植田さんは浜辺で座礁したイルカの命を救うために懸命の治療を試みる。この場面、ほんとうに圧巻だった。イルカの胃袋に詰まったビニール袋を取り除くために、最初は腕のいちばん長いスタッフに口から手をつっこむよう指示していた植田さんが、途中からは自らの手をイルカの口の中に入れる。理屈ではない。体が動くのだ。一刻の猶予も許されないなか、あまりにも未知の部分の多いイルカの命を救うために、動きつづけるのだ。傷ついたイルカのいる水槽に向かうときも走っていた。ウインチで水槽から引き揚げたイルカを床に降ろしたあとも、怒声交じりにスタッフに指示を送っていた。万全を尽くした。それでも――命は、思うようにはならないから、命なのだ。

 イルカは、残念ながら亡くなった。だが、植田さんは「こういう現実があるってことですよね」と言い、「だから、やりがいがあるのかもしれないですよね」とも言った。無念はにじんでいる。しかし、それを感情や感傷では語らない。イルカの胃袋にビニール袋が詰まっていたとき、僕は正直に言って「ヤバいな」と思ったのだ。ここで植田さんが「人間の捨てたゴミが野生動物を……」などと言い出したら、確かに正論ではあっても、結局は「かわいそう」という「感情」の言葉になってしまうのではないか、と案じたのだ。

 しかし、植田さんはなにも言わなかった。スタッフもそこへ話を持って行こうとはしなかった。撮る側も撮られる側も、物言わぬイルカの命と、ただじっと向き合っていた。だからこそ、番組の最後でもうすぐ生まれるイルカの命を見つめる植田さんのまなざしと、その横顔をとらえるカメラのまなざしに、僕の胸は熱くなったのだ。

 死がある。生がある。そこには「かわいい」も「かわいそう」もなく、ただ、かけがえのない命があるだけ――どこまでもシンプルな真理を、僕たちは、ほんとうに、いつから忘れてしまったのだろう……。

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2007年 07月 27日 読む情熱大陸 |



2007年6月22日 (金)

陸上監督・川本和久



重松 清

 第一印象――申し訳ないけれど、あまりよくなかった。押しつけられることが大嫌いで根っからヘタレのシゲマツ、ジャージやスウェット、ウインドブレーカー姿の体育会系の監督を見ると、半ば条件反射的に反感を抱いてしまうのだ。

 なぜって、ああいうひとたちってのは、とにかくやたらとアクが強くて、ゴリ押し一辺倒で、精神論をふりかざしたり、選手の私生活にずかずかと踏み込んで きたり……。で、そういうオッサンたちというのは、しばしば「指導」と「教育」をはき違えて、「ワシのやってきたことこそがすべて!」と教育論だの子育て 論などを書いてみたりするものなのである。それがまた売れてしまうのである。まったくもってサイテーではないか。

 5月13日オンエアの陸上監督・川本和久さんも――ほんとうにごめんなさい、川本さんの顔が最初にアップで映った瞬間、コワモテの迫力にビビりながら、「オレの嫌いなタイプかも」と思ってしまったのだ。

 だが、その第一印象はみごとにくつがえされた。川本さんは精神論めいたものなど一言も口にしない。武器にするのは理論――しかも、番組の制作スタッフは、その理論に基づく実践の記録も、サイエンス番組さながらのわかりやすさで見せてくれた。地面の反発を利用する走り方、なるほど確かに言われてみれば理にかなっているし、実際に記録が伸びた高校生のフォームは、たとえタイムの比較がなかったとしても、素人の目で見ても明らかに指導後のほうが伸びやかで力強い。僕は番組が終わったあと、思わずリビングで川本理論のランニングフォームを真似て足踏みしてしまった。僕以外にもそういうひと、きっといるはずだ。その時点で、まずは番組は大成功だろう。「情熱」とはじつに曖昧模糊としたもので、ややもすれば単純な精神論と重ね合わされてしまう。しかし、ほんとうの「情熱」とは、その根っこを冷静さや確かな裏付けが支えているものなのだ。

 番組の後半は、走り幅跳びの日本記録保持者・池田久美子さんと川本さんとの師弟関係を軸に進んでいく。
 だが、その前に、川本さんはカメラの前でぽつりと、こんなことを言っていた。

「陸上は『記録』のモチベーションがあるけど、柔道なんかは金メダルを獲ったあと、どうするんだろう……」

 番組の構成としては前半と後半をつなぐブリッジにすぎない存在感だったが、僕はその一言にこそ「指導」の真骨頂を感じたのだ。

 柔道などの「相手に勝つ」競技とは違って、記録を目指す陸上競技は、もちろん順位という相対的な評価はあるにしても、「自分のベストを超えていく」競技だ。つまり、今日の自分が戦うべき相手は、昨日までの自分――そうなると、日本記録を持つ池田さんの「指導」と、番組がセッティングした高校生の「指導」とは、「自分が自分を超える」ことについては等価になる。

 だからこそ、川本さんの浮かべた二つの笑顔が忘れられない。

 一つは、自己記録を伸ばした高校生を、やったな、と称える笑顔。

 もう一つは、池田さんが大会で手応えの感じられるジャンプをしたときの笑顔(助走の途中まで池田さんを追いながら、跳躍のときにはすうっと川本さんに移動したカメラワーク、おみごと!)。

 どっちも、ほんとうにいい笑顔だった。レベルの違いはあっても、「昨日までの自分を超えた」ことを同じように喜んでくれて、称えてくれる指導者――信じられるよね、このひとのことは。

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2007年 06月 22日 読む情熱大陸 |



2007年5月18日 (金)

柔道家・井上康生



重松 清

 こういうのも年をとった証というやつなのだろうか、最近スポーツを観るときに、「若くてイキのいいヤツ」というものにほとんど関心が持てない。むしろベ テラン――それも「引退」だの「限界」だのといった言葉が枕詞のようにかぶせられてしまう選手の挑戦の物語にこそ、思い入れを持ってしまう。

 野球なら工藤や桑田、そしてもちろん清原。サッカーにはカズやゴン中山がいるし、ボクシングなら辰吉丈一郎……。

 4月15日オンエアの井上康生さんもまた、復活を期していた。

 金メダルを獲得したシドニー五輪の表彰台で亡きお母さんの遺影を掲げたときから、早や7年――。僕は当時、女性週刊誌でヒューマン・ドキュメンタリーの仕事をしていて、井上康生さんの金メダルまでの物語を書いたことがあった。記事の細かい内容までは覚えていないが、きっと、弱冠22歳で世界の頂点に立った井上さんのことを「若き英雄誕生」と称えていたはずだ。

 だが、いま振り返ってみると、ヒューマン・ドキュメンタリーの主役にふさわしいのは、むしろそこからの日々の井上さんのほうだったかもしれない。特に、連覇が期待されていた2004年のアテネ五輪で思わぬ4回戦敗退を喫し、また全治6カ月の重傷を負い、さらには実兄の急死という不幸に見舞われた、この3年間は……。

 番組の密着ロケがおこなわれていた頃、井上さんは28歳――世代交代が進んでいる重量級の柔道界では、じゅうぶんにベテランの部類に属する。選手生命が危ぶまれるほどの大ケガをしてしまえば、「もういいか」と気力が萎えても不思議ではないだろう。

 それでも、井上さんは再起を図る。来年の北京五輪での雪辱を自らに誓って、傷が癒えたばかりの体を徹底的にいじめ抜く。

 ……という構成じたいは、フィクションの世界では「王道」である。それこそ映画『ロッキー』は、その繰り返しで続編をつくりつづけてきたのだから。

 だから、僕が今回の番組で胸を熱くした理由は「ベテランが再起する」という筋書きにあったのではない。むしろ逆――フィクションとは違う、現実の重さと苦さの部分だった。

 井上選手の復活劇は、残念ながら、番組の中で披露されることはなかった。フランスでの国際大会では優勝したものの、番組のヤマだった全日本体重別選手権では準決勝敗退。さらに付け加えれば、オンエア後の4月29日におこなわれた全日本選手権でも、8歳年下の石井慧選手に準決勝で敗れてしまった。

 復活の道は、やはり険しい。『ロッキー』のようにはいかない。
 だが――だからこそ、井上さんは「ここまでやって勝てないのなら、まだ努力が足りないということ」と言い切ってくれた。現時点での「負け」を謙虚に認めつつ、しかし明日の「勝ち」を目指して努力をつづけるんだと誓ってくれた。

 努力が必ずしも報われないことだって、現実にはある。勝負事ならなおさらだろう。
 井上さんはそれを受け容れたうえで、でも、とつづけるのだ。「柔道の神さまは『いる』と信じたい。そして、神さまには、自分にかぎらず努力をしてがんばっている選手に微笑んでほしい」――そこに「自分にかぎらず」の一言を挟むところが、おとなの強さと優しさなんだよ、若い諸君。

 シドニーの表彰台に立った22歳の井上さんの姿も確かにカッコよかった。でも、僕はやっぱり……いまの井上さんのヒューマン・ドキュメンタリーのほうが、ずっと深みのある物語になる気がするのだ。

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2007年 05月 18日 読む情熱大陸 |



2007年4月20日 (金)

漫画家・桜沢エリカ



重松 清

 個人的な思い出話で恐縮だが、桜沢エリカさんには以前たいへんお世話になった。11年前――1997年に刊行した拙作『ナイフ』のカバー装画を描いていただいたのだ(現在書店にひっそりと置いてあるはずの文庫版でも、その絵を使わせてもらっている)。

 ダメもとの、だいそれた願い事だった。だが、『ナイフ』という作品集は、いじめを題材にしている。「いま」のリアルないじめを描いたつもりだ。嘘くさい絵は欲しくなかった。「いま」の少年――それもいじめに遭っている少年のリアルな姿をカバーに掲げたかった。だとすれば……桜沢さんしかいないじゃないか……。

 桜沢さんは仕事を受けてくれた。そして、僕たちの期待をはるかに超えるイラストを描いてくれた。うつむく少年の立ち姿も、横顔も、着ているファッションも、すべてがぞくっとするぐらいリアルだった。

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重松 清

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 いかがだろう。3月18日オンエアの作品をごらんになった方は、きっと大きくうなずいてくれるはずだ。桜沢さんというひとは、ずーっとそうだったんだよ。11年前も、それ以前も……。

 桜沢さんの日常を追った今回の作品は、400万円のエルメスのバッグをこともなげに持ち歩く彼女の姿を冒頭に置いて、まずは華やかさを僕たちに見せつける。少々挑発的な言葉や行動も、あえて隠さない。しかし、すぐさま仕事中の彼女を見せることで、その華やかさが決して浮ついたものではないのだと伝えてくれる。

 家族が出る。ハウス・ハズバンドの夫と、一家の大黒柱としての妻――それじたいに過剰な主張を持たせようとするのは、ある面では簡単だ。新しい夫婦像とか、ジェンダーフリーとか、頭でっかちの理屈はいくらでもふりかざせる。しかし、番組は二人につまらない主張はさせない。夫はにこにこと微笑みながらわが家のカタチを語り、桜沢さんはあっさりと「向き不向き」で話をまとめる。自然体なのだ。

 二人は夜遊びだってするし、キスだってする。でも、仕事中の桜沢さんはジャージなのだ。子どものお弁当をつくる夫は、おにぎりやおかずをかわいらしく盛りつけるのだ。そんな日常のディテールを積み重ねたうえで、場面は華やかさへと飛翔する。まばゆい光の中に飛び込んだかと思えば、すぐにまた、日常へと戻る。その両極をつなぐものこそが「いま」――まさにラブストーリーと育児ものを並行して描きつづける桜沢さん自身の姿に重なる。

 しかも、視聴後しばらくすると、プロローグがじわじわと胸に染みてくる。バブル時代の女性マンガ家たち――岡崎京子は交通事故に遭って療養中で、中尊寺ゆつこは亡くなり、原律子もひさしく作品を発表していない。バブル時代の「いま」を描いた四人の中で、2007年の「いま」を描いているのは桜沢さんただ一人……。

 番組ではバブル世代のマンガ家として桜沢さんを位置づけていたが、僕はそこに「男女雇用機会均等法世代」という座標軸も置きたい。まさに「女性だって大黒柱になっていいんだ!」という価値観で社会に出た彼女たちを象徴する桜沢さんを支えるものは、じつは日常にひそむ「いま」の確かなディテールだった――というのは、なんだか男女を問わず、お疲れ気味の40代にとって大きなメッセージになっているような気がする。神は細部に宿る。「いま」だって、きっと。そして……疲れたときには、日常のディテールがおろそかになる。そのとき、僕たちは「いま」も手放してしまっているのかもしれない。

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2007年 04月 20日 読む情熱大陸 |



2007年3月23日 (金)

“クープ・デュ・モンド”パティシエ世界大会日本代表



重松 清

 毎週オンエアされる『情熱大陸』をずっと観ていると、各作品のテンポの違いに驚かされる。じっくりと腰を据えて「情熱」のディテールを舐めるように写し 取る回があるかと思えば、逆に、あえてラフに仕上げて「情熱」の生み出すグルーブをそのまま伝えてくれる回もある。もちろん、30分のドキュメンタリーに 求められる「基本テンポ」はあるのだろうが、それをベースに、変幻自在にスピード感が変わるところにこそ、『情熱大陸』のフトコロの深さと広さがあるのだ ろう。
 2月11日オンエアの、パティシエ世界大会日本代表の回は、アップテンポ――それも、かなりのスピード感で構成されていた。

 無理もない。一人の人物を追いかけるふだんの回でさえ、30分の尺からあふれ出しそうなのに、今回は三人。しかも世界大会という大きなヤマ場まである。悠長に構成していては、途中で時間切れになってしまう。それでいて駆け足にたどりすぎると、いわば「あらすじ」だけで終わってしまいかねない。
 洋菓子界の世界最高峰の大会の凄みをしっかり伝えつつ、それに挑む日本代表チームの姿を活写し、なおかつ、チームのメンバー3人のドラマをきちんと描き出す……断言してもいいが、これ、一時間番組のネタだと思うのだ。三人のメンバーそれぞれの日常生活に密着し、本番に向けての試行錯誤の日々を描き、世界大会の模様を実況中継ふうにサスペンスたっぷりに伝えていけば、一時間なんてあっという間ではないか。
 それを30分でまとめるために、スタッフは大胆な「決め打ち」をしてきた。
 三人のうち、日常生活のドラマは日本代表の座を8年がかりで射止めた市川幸雄さんと27歳の長田和也さんに絞って、しかも「奥さんの応援」というピンポイントで勝負した。私生活があえて省かれた藤本智美さんは、そのかわり、世界大会本番での主役の座を任されることになる。
 おそらく、カメラやマイクがとらえたドラマは、もっともっとたくさんあったはずだ。それをそっくりそのまま番組の中で紹介することができたなら……とスタッフは一度ならず思ったはずである。ジャンルこそ違え、僕も週刊誌のライターとして毎週記事を書いてきた身である。「あと1ページあれば、このエピソードも伝えられるのに」「あと3行だけでも増えれば、この一言を入れられるのに」と毎週のように思っていた。
 しかし――僕は知っている。集めた材料をそのまま文章にした雑誌記事は、確かに盛りだくさんではあっても、焦点がボケてしまって、かえって読者にポイントが伝わらなくなってしまうのだ。
 それはドキュメンタリーでも同じではないだろうか。絞ること、捨てること、あえて隠すこと……一見すればネガティブな姿勢に思われがちの、その選択にこそ、プロの手腕が問われる。「増やす」ことではなく、むしろ逆に「減らす」ことが、つくり手のセンスや志をくっきりと見せてくれる。
 今回の番組、みごとな絞り方、捨て方、隠し方を見せてくれた。ドラマの要素を減らすことで三人のパティシエの情熱を際立たせ、なおかつそこに物足りなさを感じさせなかった。もちろん、その最大の殊勲者は、番組のラストで美しい涙を流してくれた奥さん二人ではあるのだが……ラストの涙から逆算して物語を組み立てていくことだって「あり」なのだ。ドキュメンタリーは決して、実際にあったことをただ撮っただけでできあがるものではない。その素材から、なにを捨てて、なにを残すか。どこを隠して、どこを見せるか。編集の技、堪能させてもらいました。

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2007年 03月 23日 読む情熱大陸 |



2007年3月 9日 (金)

早稲田大学ラグビー部監督・中竹竜二



重松 清

 『情熱大陸』とは、いったいどの世代に向けてつくられたドキュメンタリーなのだろう。
 もちろん、日曜日の夜という時間帯を考えると、全世代的に愉しめる番組だというのは間違いないのだが、登場するひとや描き方によって、「これは若い連中にウケるだろうな」「『わかるわかる!』と快哉を叫ぶオバサンは多いだろうなあ」といった「色」は出てくるだろう。1月21日オンエアの、早稲田大学ラグビー部監督・中竹竜二さんの「色」は、まさにいぶし銀。若い連中よりも、むしろ人生の哀歓を知り尽くしたオヤジにこそ味わっていただきたい物語だった。

 もっとも、中竹さんの年齢は33歳――まだじゅうぶんに若い。監督という立場を考えたら、若すぎると言ってもいいほどだ。
 しかし、中竹さんの言葉の一つひとつには、オトナを納得させるシブさと重みがあった。
 カリスマとして鳴らした前監督・清宮克幸さんの後継者として名門ワセダを率いる。しかも、大学選手権を制した前年度の選手も多数残っている。まったくもって損な話ではないか。うまくいってあたりまえ、失敗すれば、優れたカリスマだった前任者といやおうなしに比較されてしまう。そんなプレッシャーの中で苦闘する中竹さんが語った、二つの「責任」に――オヤジは泣くのだ。
 勝つ責任。わかる。しかも、中竹さんは、その前に「学生たちに任せた責任」という重荷も自らに課した。そこにこそ、中竹さんの真骨頂がある。「情熱」の所以がある。
 だって、よーく考えてみると、この二つは矛盾しているのだ。学生たちに任せたのなら、勝敗の責任も学生たちに負わせればいい。勝つ責任をまっとうしたいのなら、最初から最後まで自分で学生たちを引っぱればいい。そうしないと、「口出ししたいのに我慢して、その結果負けてしまった責任を自分が取る」という、なんとも悔しいことになってしまうではないか。
 だが、中竹さんはあえて、その矛盾を引き受けた。学生たちの自主性が育つのを辛抱強く待ち、学生たちを引っぱるのではなく、彼ら自身が走りだすためにハッパをかけつづけ、そして、宿敵・関東学院との一戦に敗れたあと――「すまん」と詫びた。
 その万感込めた「すまん」の重みは、人生経験を積んで「父親」や「管理職」と呼ばれる立場になったオトナの胸に、熱く染みるはずだ。あるいは、子どもたちを「教える」ことや「育てる」ことに苦闘する教育関係者は、中竹さんの姿にわが身をきれいに重ね合わせて、「そう、そう、そうなんだよ、教師の難しさは……」と涙するかもしれない。まったくもってオトナの作品だったのだ。
 それにしても、ドキュメンタリーにとってスポーツという素材は、ほんとうにヤッカイなものだ。「勝ち」と「負け」がはっきりと出てしまうために、特に試合を作品のヤマ場に置いた場合には、その結果で作品の意味合いがまったく違ってしまうこともありうる。
 今回の作品だってそうだ。ワセダ勝利で締めくくることができたなら、「カリスマにならない新たなカリスマ誕生!」という形で明るく仕上がったはずだが、残念ながら、結果は敗退、それも惜敗だったからこそ、「中竹イズムの失敗」というふうにも解釈されてしまいかねない物語になってしまった。
 しかし、「負け」をただの結果として終わらせないのも、ドキュメンタリーの持つ力なのだ。中竹さんやワセダにはきわめて不本意な話だとは承知で言わせてもらいたい。僕は、この作品、「負け」があったからこそ深みが生まれたのだと思っている。ほろ苦い『情熱大陸』――オトナの味だったよ。

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2007年 03月 09日 読む情熱大陸 |



2007年1月19日 (金)

国連職員・忍足謙朗



重松 清

 やってくれたね、『情熱大陸』――その一言が、番組を見終わったときの最初の感想だった。なにしろ今宵は12月24日。クリスマスイブ。一年中で最も華 やいで浮かれた夜に、おそらく番組の年間ラインナップの中でも最もシビアな「現実」を突きつけた、その覚悟に、まずなにより最上級の賛辞を捧げたいと思 う。
 それは決して、単純な反骨精神といったレベルの話ではない。テレビの定時番組という枠の中でオンエアされる作品は、「いつ放送されたか」も含めて論じられるべきだ、と僕は考えている(もちろん「作品そのものの持つ力」を認めたうえでの話だ)。
 その意味では、スーダンで食糧援助をおこなうWFP(国連世界食糧計画)職員・忍足謙朗さんを描いた今回の作品は、「クリスマスイブにオンエアされた」ことによって、作品世界にさらなる重みと奥行き、そして苦みをも得たのではないだろうか。

 スーダンの紛争と飢餓、恥ずかしい話だが、僕はほとんど知らなかった。いや、知ってはいたのだ。だが、それは「スーダンって最近大変なことになっているらしい」という、新聞やニュースのヘッドライン程度の「知る」にすぎない。風景が浮かばない。人間が見えない。だから、遠い。
 そんな薄っぺらな「知る」を突き抜けて、12月24日の番組は、あった。スーダンの風景が見えた。そこに暮らすひとたちの姿が見えた。途方に暮れた表情や、悲しげなまなざしや、枯れ枝のような手足が、確かに2006年のクリスマスイブのニッポンのテレビ画面に映し出されたのだ。
 当然ながら、それを百パーセントの「知る」だと言うつもりはない。だが、少なくとも、僕たちはこの番組によって、ヘッドラインのレベルの「知る」から一歩踏み込んで、スーダンの現状を知った。その一歩前進を肯定することこそが、ドキュメンタリーの存在意義ではないか、とも思うのだ。
 さて、それにしても忍足さん、カッコよかったなあ。頼もしかったなあ。
 その頼もしさは、「現実」の厳しさがあるからこそ成立する。番組の制作スタッフもそれをよくわかっていた。だからこそ、飢えに苦しむ難民に援助物資を届けるシーンだけでなく、「来年は援助を増やせない」と部族の長たちに伝える場面もしっかりと撮る。援助を受ける側の切実な嘘もごまかさない。そして最後の最後――番組がほのかな温もりに包まれたエンディングを迎えかけたところに、静かに差し出される「現実」の厳しさ……。
 遠く離れたアフリカ・スーダンで難民の援助をつづける日本人――これを美談として、いわば「ファンタジー」として描くことは、決して難しくはないだろう。援助物資を持って難民キャンプを訪れたときの子どもたちの笑顔だけを撮っていれば、その「ファンタジー」はあっさりとできあがる。
 だが、番組は、「現実」を描くことを選んだ。それも、一年で最も「ファンタジー」の似合うクリスマスイブに。
 もしかしたら、「クリスマスイブには、もっと夢のある世界を見せてほしかった」という異論は出てくるかもしれない。だが、僕は、聖夜に「現実」をぶつけた『情熱大陸』に、何度も言うけれど、最大限の賛辞を捧げたい。「現実」の厳しさを描き出しながらも、決していたずらにネガティブに、ニヒリスティックになるのではなく、その先にあるものを確かに僕たちに感じさせた制作スタッフへも、同じ拍手を贈りたい。
「現実」の厳しさの先にあるもの――それを、僕は「希望」と呼ぶ。

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2007年 01月 19日 読む情熱大陸 |



2006年12月15日 (金)

左官・久住有生



重松 清

 「職人さん」と言えば、ガンコが通り相場である。無口で、めったに笑わない。腕はよくても、いや、腕のいいひとほど、とっつきづらくておっかない……。
 そんな「職人さん」をめぐる一般的なイメージは、11月12日オンエアの『情熱大陸』を観ると一発で吹き飛んでしまう。

 左官・久住有生さん――番組を観たシゲマツの第一印象は、ものすごーく単純で、もしかしたら制作スタッフには「そこかよ!」とツッコまれてしまうかもしれないのだが、正直に打ち明けておく。
 久住さん、モテるだろうなあ……。
 しみじみと、つくづくと、そう感じたのだ。

 イケメンである。話しぶりも快活そのもの。34歳という実年齢以上に、見た目が若い。大学生といっても通じそうな気がする。
 そんな久住さんが、左官の若手ナンバーワンと言われているのだから、「職人さん」の世界も奥が深い。ガンコで無口というステロタイプは大幅な修正を迫られそうだ。
 さて、では、番組は久住さんを「新世代の左官」「職人・新人類」として描いたのだろうか――?

 そうではなかった。現場の土にこだわり、コテを滑らせる手の動きに全神経を集中させる久住さんの姿は、むしろ古風なまでの職人魂にあふれていた。それをドキュメンタリーの「物語」としてみごとに象徴させたのが、アメリカ・ユタ州ソルトレイクシティの現場でのロケだ。

 施主は日系二世――しかし、まだ一度も日本を訪ねたことはない。だからこそ、施主は自分のルーツへの思いを込めて、日本の土壁を新居に設えようとした。じかに触れたことのない「過去」を新居での暮らしに採り入れようとしたわけだ。そのうえで、材料は、いま住んでいるソルトレイクシティのもの――すなわち、久住さんが塗る壁には、施主の「現在」と「過去」が共存するわけなのだ。
 それは、期せずして久住さん自身の姿にも重なり合う。しかも、昔ながらの職人技に現代的なセンスを加えるという具体的な仕事の作法を超えて、「職人さん」としてのアイデンティティーにもかかわっていると思うのだ。

 久住さんの父親も左官職人だった。しかし久住さんは父親から直接手ほどきを受けたわけではなく、父の弟子だった親方に弟子入りして基本を学んだという。隔世遺伝のようなものである。日本の土を踏んだことのない日系二世の施主と、父親と同じ道を歩みながら「よその釜のメシを食った」久住さん……施主が、日本を知らないからこそ伝統的な土壁に憧れたように、久住さんもまた、間接的な孫弟子だったからこそ逆に、父親の世代の、古き良き職人の仕事をまっすぐに、素直に受け容れられたのではないだろうか。

 そう――ぼくは、今回の番組のキーワードを「素直」だと解釈している。ヒネたガンコさとは無縁に、土の声に耳をかたむけ、ただひたすら壁を塗っていく久住さんの「素直」さは、『三丁目の夕日』的な(つまりガンコで無口な職人さんだらけだった)古き良き「昭和」を直接には体験していない、という世代的なプラスもあるのかもしれない。

 これが父親に直接教えを受けていたら、もしかしたら衝突や反発もあったかもしれない。しかし、父親の弟子に最初の手ほどきを受けたことで、古き良き昭和の「職人さん」が濾過されて、久住さんに注ぎ込まれた。その結果、腕はとびきりで性格は素直で快活という、まったく新しい「職人さん」像ができあがった――古き良き「昭和」に反発ばかりしてきた世代、当年43歳のシゲマツは、そのことをほんとうにうらやましく思うのである。

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2006年 12月 15日 読む情熱大陸 |



2006年12月 1日 (金)

若年認知症患者・越智俊二



重松 清

 フトコロを感じた。『情熱大陸』の「情熱」に、また一つ新たな定義が加わったのではないか、とも感じた。
 10月29日にオンエアされた、若年認知症患者・越智俊二さんのドキュメントである。
『情熱大陸』という番組のラインナップの幅広さについては自分なりによーくわかっているつもりだったが、越智さんの回は、「幅」で語ることができないぐらいの異色作だった。そして、力作だった。

 若年認知症――荻原浩さんの小説と渡辺謙さん主演の映画で大ヒットした『明日の記憶』によって、だいぶ社会の理解は進んだとはいえ、まだまだ偏見にさらされている「病気」である。越智さんは、その患者である。つまり、番組はまず、若年性認知症そのものについて正しく視聴者に伝えることを求められる。だが、病気の「説明」に終始してしまうと、それは医療番組になってしまうだろうし、患者としての越智さんの苦しみを強調しすぎると、「福祉」の分野のドキュメンタリーとしては成功しても、少なくとも『情熱大陸』の範疇からははずれてしまう。不幸や悲劇を「情熱」に転化することは意外と簡単でも、だからこそ、この番組はそれを禁欲してきたはずではなかったか。もしも越智さんの描き方が「不幸にも若年認知症になりながらもがんばっている悲劇のヒーロー」になってしまっていたら、それはなんとも鼻持ちならないものになってしまう恐れもあるのだ。
 高みに立って「かわいそうなひと」を描くのはもちろん論外である。ならば、「自分だって認知症になってしまうかもしれないのだから」というリアルな不安を前面に出せば、作り手の誠実さが伝わるか? いや、安易な「明日は我が身」の感情移入は、逆に「怖いもの見たさ」に陥ってしまいかねないだろう。要するに、どんなに越智さん自身の姿を誠実に描いても、番組を観たあとの視聴者に「若年認知症って怖いなあ、ツラいなあ、自分もそうなったら嫌だなあ」というネガティブな思いしか残さなかったら、番組は失敗ということになってしまうのだ。

 だが――このドキュメンタリーは、ほんとうによくがんばったと思う。一見すると淡々とした日常の描写を重ねただけに思われがちのタッチだが、そこには、安易な悲劇性を決して持ち込むまいとする足の踏ん張りがある。安直な感情移入を自戒する強い意志がある。
 おそらくロケで得た映像の中には、悲劇を盛り上げるにはぴったりの場面だってあっただろう。「泣かせ」の演出をする気になれば、いくらでもできただろう。それでも、スタッフはそこに頼らなかった。病気の実態を確実に伝えつつ、越智さんの過ごす日々を「患者の日々」から「夫婦の日々」へと昇華して、みごとな夫婦の物語を描きだしたのだ。
 認知症の症状が確実に進行している越智さんの毎日を物心両面で支える奥さんの須美子さんは、とにかく明るい。あたたかい。その明るさと温もりこそが、今回の番組のキモだった。越智さんは須美子さんに感謝し、と同時に申し訳なさも背負って、夫婦二人暮らしの日々を過ごしていく。ことさらに大きな事件はなくとも、越智さんの「いま」を生きる姿に、静かな「情熱」が宿っているのがわかるのだ。

 なにかを目指すことだけが「情熱」ではない。なにかを求めることだけが「情熱」ではない。愛するひととともに、ただひたすらに「いま」を生きること――僕は、またひとつ番組から「情熱」のあり方を教わった。それは、笑ってしまうぐらいあたりまえで、だからこそ、涙が出るくらい愛おしい、「生きること」そのものの温もりだったのだ。

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2006年 12月 01日 読む情熱大陸 |



2006年10月27日 (金)

プロ車椅子バスケットボール選手・岩野博



重松 清

 「車椅子」という言葉は、たんにモノを指すだけではなく、もっと大きな意味を負わされている。たとえば――物書きならではの細かいコダワリだと笑っても らってもいいのだが、僕たちは「車椅子(の生活)になる」「車椅子のひと」という言い方をしばしばしてしまう。モノであるはずの「車椅子」は、いつのまに か「体が不自由なひとの生活」を象徴するものになってしまっているのだ。
 だからこそ、「車椅子バスケットボール」という言葉を目や耳にしたひとは、それを「スポーツ」としてはとらえない。そこに「障害者」や「難病」や「介護」、あるいは「悲劇」や「絶望」や「苦労」といったものを、勝手にまとわりつかせてしまうのだ。

 先入観――いや、「偏見」とさえ呼んでもいいかもしれない、そんな僕たちのこわばった意識を、9月24日オンエアの『情熱大陸』は、みごとに吹き飛ばしてくれた。
 主役は、プロ車椅子バスケットボール選手の、岩野博さん。かつて日本の車椅子バスケットボール界の中心選手として活躍した岩野さんは、36歳で世界有数の強豪国・オーストラリアに渡って、42歳のいまもなおプロとしてチームのレギュラーを張っている。
 テレビのドキュメンタリーでも、活字のノンフィクションでも、岩野さんのような人物を描くには、二つのアプローチが考えられる。それは岩野さんの過去をどう描くか、とも言い換えられるだろう。
 一つ目は、岩野さんが車椅子を使う生活に至った経緯と、そこからプロの車椅子バスケ選手になるまでの物語――いわば「車椅子」にまつわる僕たちの先入観に寄り添う手法だ。
 じつを言うと、前週の番組のあとに次週予告を観たときには、「もしかしたら、そっちかな?」と思っていたのだ。で、もっと正直に言うと、「だとすれば、なんか、番組を観る前に展開は読めちゃうなあ」とも思っていたのだ。僕もフリーライターとして、「車椅子」の物語は何編も……おそらく数十の単位で描いてきた。だから、見えるのだ。挫折から再起する物語、絶望から希望へと移っていく物語のスジミチが。おそらく、それは物書きの僕だけではなく、読み手や視聴者という立場の多くのひとたちにも、なんとなく見当がつくんじゃないだろうか。
 だが、番組は、そんなスジミチをとらなかった。二つ目のアプローチ――岩野さんの「いま」を前面に押し出した。スジミチの読める過去の物語は、必要最小限にとどめた。その結果、岩野さんの物語は、僕たちが事前に安易に思い描いていた「車椅子」の世界とは気持ちよくかけ離れたものとなったのだ。
 車椅子は、下半身の感覚を失った岩野さんの生活の象徴ではない。それはあくまでも道具、マシーン――冒頭で紹介された車椅子の位置づけが、つまり、番組そのもののマニフェストだったのかもしれない。
 車椅子バスケットボールは、紛れもなく「スポーツ」だ。それも、激しく熱い、闘いの世界だ。コートで車椅子が転倒したら自力では起きあがれない岩野さんは、その世界で「いま」を生きている。
 どこから来たかではなく、いま、どこにいるか――。岩野さんは「自分はどんどん変えていける、変えることができる」と言った。その言葉をしっかりと受け止めた番組は、どんなふうに変わってきたかという過去の物語ではなく、変わってきた結果の「いま」の物語を描いた。それは、プロ選手・岩野さんに対する最大の敬意だと思うのだ。言い訳や泣き言は無用、結果がすべての世界に生きる岩野さんを、番組は「車椅子のひと」ではなく「プロ」として描いたのである。

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2006年 10月 27日 読む情熱大陸 |



2006年9月15日 (金)

介助犬トレーナー・矢澤知枝



重松 清

 いい笑顔だなあ、ずーっとこの笑顔を見ていたいなあ、と思ったのだ。
「優しい」という言葉で表現すると、なにか、とてもたいせつなものを言いそびれてしまいそうな気がする。
 もっと「強い」のだ、彼女の笑顔は。
 それでいて「やわらかい」のだ、すごく。
 8月27日にオンエアされた介助犬トレーナー・矢澤知枝さんのことである。

 この番組の手柄は、まずはなにより、介助犬という存在を僕たちに教えてくれたところにある。全国でまだ33頭しかいないという介助犬は、どんなふうにトレーニングされ、ユーザーの生活をどんなふうにサポートしていくのか――「知らなかったことを知る」というドキュメンタリーの最も大きな魅力の一つを、この番組はみごとに押さえている。

 しかし、当然ながら「知る」が「知識を得る」だけにとどまってしまうとつまらない。いかに「知る」に血を通わせるか、「知る」に温もりを持たせるか……。
「障害者」や「福祉」をとりあげたドキュメンタリーは、一見すると「知る」に血を通わせやすい世界のように思える。

 だが、ほんとうにそうなのだろうか?

 僕は逆だと思うのだ。「障害者」や「福祉」を描くドキュメンタリーほど難しいものはない。なぜなら、「障害者」や「福祉」に対して、僕たちはすでにステロタイプなイメージを持ってしまっているから。俗な言い方をするなら「お涙ちょうだい」――その定型に乗っかってしまえば確かに番組は容易に「感動」を呼び起こすことができるだろう。しかし、それはあまりにも浅く、薄く、安易ではないか……。

 じつを言うと、番組の次回予告で、次週は介助犬トレーナーが登場すると知ったとき、ちょっと心配ではあったのだ。「障害者を支える忠犬の物語」というアウトラインは、定型にきれいにはまりすぎる。番組は、そこをどうかわし、どう乗り越えていくのか。

 矢澤さん、とてもよかった。最高だった。

 番組は、矢澤さん自身の生い立ちも含め、随所でシビアな現実を覗かせる。
 しかし、それを決して強調はしない。美化もしない。
 介助犬の活躍ぶりも、ことさらにけなげさを際立たせるのではなく、むしろ淡々と、節度ある距離を保ったうえで描いていく。
 そのおかげで、矢澤さんの世界に湿っぽさがまとわりつかずにすんだ。安易な「お涙ちょうだい」に陥ることなく、しかし、「障害者」や「福祉」をめぐる現実のずしりとした重さはきちんと伝えつつ、一人の、素敵な笑顔を持った女性の姿を描きだすことに成功したのだ。

 私事におよんで恐縮だが、僕もフリーライターとして「障害者」や「福祉」にかんするルポルタージュや読み物記事は何本も――いやマジに何十本も書いてきた。「お涙ちょうだい」の定型の強さや、それに甘えてしまうずるさもよく知っているつもりだ。
 だからこそ、今回の番組の主役が矢澤さんの笑顔だったことに大きな拍手を贈りたい。これは、ちょっと大げさに言えば、旧来の「お涙ちょうだい」を否定した、事件である。『情熱大陸』の一回分を超えて、「障害者」や「福祉」を描くドキュメンタリーの文法を変えうる新しさと爽やかさが、ここには確かにあったのだ。

 そして――ここが最大のポイント、「善意」や「無償の愛」といった言葉でまとめられがちな世界を、番組は「働くこと」「仕事」としてストレートに描いた。これ、ほんとうに難しいことなんだから。

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2006年 09月 15日 読む情熱大陸 |



2006年8月18日 (金)

読む情熱大陸:イビチャ・オシム



重松 清

『情熱大陸』は、言うまでもなく現在進行形のドキュメンタリー番組である。当然その「現在」は、日々刻々、更新される。企画が動き出した時点からオンエアまでの間にいくつもの紆余曲折があり、時には最初の企画から大幅な軌道修正を強いられることもあるだろう。もちろん、そういう未確定要素が生むスリリングな臨場感こそがドキュメンタリーを観る醍醐味ではあるのだが……番組をつくるスタッフは大変だろうなあ……。

 7月23日にオンエアされたイビチャ・オシムの回は、まさにその醍醐味と苦労とがたーっぷり詰まっていた。

 なにしろ「時のひと」「旬のひと」である。じっくりと腰を据えてオシムの表情を追い、言葉を引き出してきたスタッフにとっては、紆余曲折どころか番組の 「背骨」を交換せざるをえないような、このオシム・ブーム――本音では、ちょっとフクザツなところもあったのではないだろうか。

 だが、僕たちのもとに送り届けられた番組は、「背骨」を取り替えるどころか、いささかもブレさせなかった。さまざまなメディアの熱狂ぶりと一線を画して、静かに、端正に、そして苦みとともに、オシムを描いていったのだ。

 もっと盛り上げることはできる。もっと煽ることはできる。もっとはしゃいで、もっと派手に、もっと軽く……要するに、お祭り騒ぎに参加することは簡単にできたはずなのだ。  
だが、『情熱大陸』は、そうしなかった。「日本代表監督」ではなく、「人間」としてのオシムを描いていった。僕はそこに全面的に共感し、ブームに便乗したんじゃないんだというスタッフの意地と、自分たちが選び取った「背骨」への自負を感じ取った。

 その「背骨」とは――オシムが番組中でときどき覗かせる、ひどく寂しそうなまなざしや表情が象徴している。祖国を戦火で焼かれた男の静かな怒りと、そして、ある種のニヒリズムとさえ呼べるような、理知的でクールな物事のとらえ方……。

 マスコミを通じて伝えられるオシムの言動には、常にひとひねりしたオトナの余裕がある。自分でも「監督」の定義を「トレーナー(調教師)」ではなく「教 師」と言うとおり、少々ひねくれた言い回しをつかいながら、教師が生徒を教え諭すような余裕だ。それは決して、65歳という年齢がもたらしたものではない し、名将と呼ばれているがゆえのアドバンテージでもない。サッカーだけでなく、人生そのものの修羅場をくぐってきたひとなのだ。その旅路で、いくつもの悲 しみを味わい、孤独を背負ってきたひとなのだ、彼は。

 お祭り騒ぎに背を向けた番組は、だからこそ、オシムが日本代表を率いることのほんとうの価値を教えてくれた。

 南アフリカ大会に出場できるかどうか――確かにそれも大切だが、もしかしたら、オシムはニッポンのサッカーに、もっと大きなものをもたらしてくれるかもしれない。

 貧しさを知り尽くしているはずのジーコは、ハングリー精神を最後まで代表チームに植え付けてはくれなかった。だが、オシムは、ニッポンの歴史を勉強した成 果を問われて、まず最初に原爆の話をしてくれる監督なのだ。祖国が戦場となった怒りと悲しみを、オシムは誰よりも知っている。国を代表してピッチに立つこ との重みと誇りについても、いや、それ以前に、サッカーを楽しめる平和のかけがえのなさについても……。伝えてほしいと思う。選手たちにも、僕たちにも。 「オシムの流儀」と題された今回の番組は、これから始まる「オシムの授業」のオリエンテーションだったんだな、きっと。

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2006年 08月 18日 読む情熱大陸 |



2006年7月14日 (金)

読む情熱大陸:立川談志



重松 清

 6月18日午後11時~11時30分――サッカー日本代表がW杯でクロアチアと戦っている、まさにその時間の「裏」である。テレビの世界に素人の僕にも、それがとんでもなくヤバい話であることはよくわかる。

 こんな日に『情熱大陸』に登場するというのは、視聴率だけを考えるなら――こんな表現は失礼だと承知で言えば、はなから「負けいくさ」である。貧乏くじを引いてしまったのは誰だろう、と新聞のテレビ欄を見て、思わず「あはっ」と笑ってしまった。

 サイコーの人選だった。

 立川談志師匠――むろん、師匠もオンエア日がW杯クロアチア戦とカブッてしまうことはご存じだろう。視聴率を稼げないのは百も承知のうえで、いや、むしろそれを誰よりも面白がるのが立川談志の面目躍如ではないか。

 そんな期待に応えるかのように、番組冒頭、師匠はきっぱりと「日本代表の選手? 誰も知らねえよ」と言い切る。嘘だと思う、たぶん。だが、そう言ってもらわなくちゃ始まらない。この冒頭のへそ曲がり宣言から、あとは一気に談志師匠の独演ドキュメンタリーに……なだれ込まないのである。

 カメラが追う師匠は、どこか疲れて見える。実際、耳の不調に糖尿と、体の具合もよくないようだ。対談をした石原慎太郎都知事にも、「鬱病なんじゃないか」とジョーク交じりの口調ではあっても言われてしまう。70歳。「下の毛は黒々としてるんだ」と笑っても、着替えや入浴中の裸身には、確実に老いが忍び寄っている。さらには、勝手の違う新橋演舞場での、弟子・立川志の輔師匠との二人会での、本人にしかわからない不調ぶり……。

 スタッフはハラをくくって編集したに違いない。痛快で天衣無縫な立川談志像を強調して番組をつくることだって、決して不可能ではなかったはずだ。ひたすら元気でヤンチャな師匠を見たがっている視聴者がたくさんいることも、もちろんわかっていたはずだ。

 それでも、この夜の『情熱大陸』は、徹底して「負けいくさ」に挑む師匠を映し出した。だからこそ、番組は少々ほろ苦い味わいを残すことにもなったのだが、引き替えに、僕たちはとても重くて大切な問いを与えられることにもなった。

 老いや、その先の死に対しては、誰もが「負けいくさ」を強いられる。だが、それはほんとうに「負け」なのか? 談志師匠の一番の敵はかつての自分の芸だと、よく言われる。なるほど、新橋演舞場での高座がそうだったように、自分自身に対して厳しくあればあるほど、その戦いは決して分のいいものではないだろう。しかし、それはほんとうに「負け」なのだろうか……。

 後出しジャンケンをさせてもらう。談志師匠のほろ苦いドキュメンタリーが流れている最中、サッカー日本代表はクロアチアに引き分けて、実質的に決勝トーナメント進出の道を断たれた。文字どおりの「負けいくさ」である。そんなW杯で誰よりもピッチを走り回ったのが引退を胸に秘めていた中田英寿で、その中田が日本代表の敗因を「自分たちの持っている力を出せなかった」と指摘したことは、裏番組の談志師匠の「負けいくさ」での戦いぶりを並べることで、よりいっそう重く響くはずなのだ。

「落語とは人間の業の肯定である」と師匠は言う。それをもじれば、師匠は「立川談志である業」を背負って、誰よりも自分に厳しくあることで、その業を肯定しているのではないか。ひるがえって、W杯の舞台に立った日本代表は「サッカー選手であることの業」をどこまで肯定できていたのだろう。そんなことも、ふと思うのである。

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2006年 07月 14日 読む情熱大陸 |



2006年6月16日 (金)

読む情熱大陸:明神学武



重松 清

 5月21日オンエアのカツオ船漁労長・明神学武さんの回は、撮影クルーが4ヶ月にわたって明神さんの船に同乗した、ということが冒頭で示されていた。

 なるほど。海の男の物語は、やはり海の上で撮影しないことには始まらない。ぼくは大いに納得し、『情熱大陸』の独壇場ともいえる現在と過去の交錯に加えて、海と陸――太平洋で漁をする明神さんのドラマと、陸(ここはやはり「オカ」と呼びたいものだ)で大漁と無事を祈る家族のドラマとのコントラストが味わえるのだろう、と一人で先走って構成を予想していた。 

そのうえで、若干の危惧も抱いていたことを告白しておく。なにしろ、この番組、実質24分ほどのボリュームである。決して長くはない。小説の世界でいうなら、短編。そこに現在/過去、海/陸という二組の構図を入れてしまうと、盛りだくさんの内容になるのと引き替えに一つずつの要素に物足りなさを残してしまうのではないか?

 短編小説の醍醐味は「人生の断面を切り取ること」だと、よく言われる。人生を丸ごと放り込むのではなく、断面の鮮やかさに人生そのものを象徴させる――いわば「部分」から「全体」を透視する手法である。作品として描かれているのはほんの一コマにすぎなくとも、しかし、その一コマが読者の胸の中で大きな広がりを持つ。それが優れた短編小説というものなのだ。

 さて、今回の番組は、ぼくが危惧していた「短編の器に長編の要素を無理やり詰め込んだ」ものにとどまってしまったのだろうか。

 答えは、もちろん、NO。「陸」や「過去」は必要最小限の描写に抑えられ、2006年春の航海――まさに「断面」がダイナミックに切り取られていたのだ。

 作品中にあえて盛り込まなかったドラマは、たくさんあったはずなのだ。一年の大半を海で過ごす明神さんの留守を守る奥さんのドラマもあるだろう。32歳の 若さの明神さんが、昨年のカツオ一本釣り漁で日本一の売り上げを記録するまでのドラマだって波瀾万丈のはずだ。日本一の栄冠に輝いた翌年のプレッシャーも ある。あるいはまだ幼い息子さんたちが父親の仕事をどう見ているのか、明神さんは我が子にどんな夢を託しているのか……。

 いずれも魅力的な要素の数々を、番組は潔く断ち切った。いや、それは決して番組の時間的制約のための苦渋の選択ではない。なぜって、ぼくが挙げたこれらの 「描かれなかったドラマ」は、すべて、ぼくたちの胸の中で描かれているのだから。まさに、優れた短編小説をドキュメンタリーに置き換えたらこうなる、とい う見本のようなものだ。

 カツオの一本釣りという「仕事の現場」に徹したドキュメンタリーは、それを徹底したからこそ、最高の「断面」をぼくたちに見せてくれた。ほとんどすべての ドラマが「海」を舞台にしていながら、息子さんとの電話のやり取り、奥さんの焼いたクッキーが、若き漁労長・明神さんの家庭での横顔も想像させてくれる。 全身をバネのように使ってカツオを釣り上げる男たちの姿が、カメラをはねとばすようなカツオの暴れっぷりが、この仕事の誇りを雄弁に伝えてくれ る。

 そしてなにより、明神さんの笑顔、サイコーだったなあ。ここには確かに、明神さんの生きてきた「過去」、生きている「現在」、生きていく「未来」がちゃん とある。その笑顔にもっと触れたくて、ぼくは見終わったばかりのDVDをまた再生させた。何度でも読み返したくなること――これも、優れた短編小説の条件 だ。おんなじなんだよ、小説もドキュメンタリーも。

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2006年 06月 16日 読む情熱大陸 |



2006年5月19日 (金)

読む情熱大陸:大滝国吉



重松 清

 もしかしたら――4月30日オンエアの『情熱大陸』を番組の途中から観たひとは、「あれっ?」と困惑したかもしれない。「これはNHKだ」と早合点してリモコンを操作してチャンネルを変えたのに画面はそのままで、さらに困惑してしまったひとも、きっといるだろう。

 雪山である。ツキノワグマである。猟である。薪ストーブである。ウサギ汁である。散弾銃である。

 マタギ――なのである。

 この連載コラムを書き始めて丸3年、数えてみれば150本近い作品を観て(けっこうスゴいなあ)きて、『情熱大陸』の幅の広さはわかっているつもりだったが、いや、まいった、まさかマタギが登場するとは……まさにNHKの『新日本紀行』ではないか。

 だが、もちろん、これは『情熱大陸』――NHK的な(良くも悪くも)「教養」のにおいではなく、あくまでも「人間」を前面に押し出して番組は構成されていた。

 マタギの親方・大滝国吉さんに、取材したスタッフが惚れ込んでいるのがわかる。大滝さんが庭のようにして駆け回る雪山に圧倒され、まさに命と命の直取引をしているかのような猟に気おされているのがわかる。

 ウサギ猟のあとで大滝さんに語りかけるディレクターの声は、うわずっていた。目の前で見せつけられたウサギの「死」に絶句し、まだ温もりを持っているはずのウサギの死体を前に、それをどう自分の中で受け止めればいいのか戸惑って、まるで助けを求めてすがりつくように、大滝さんに猟のあとの思いを尋ねる。それは、ある意味では「プロのTVマン」としては失格の行動かもしれない。だが、「人間」として、そのディレクターのうわずった声は「死」から遠く離れて生きている僕たちの声でもあった。そして、その場面をカットせずに作品に残したことは、テレビの世界で最大のタブーである「死」をどう描くかの、番組じたいの決意表明でもあったのではないだろうか。

 失われつつある古いニッポン、というノスタルジーで「死」を正当化するのはたやすい。あるいはマタギの生活をカメラに残した貴重な映像なんだから、という教養主義的なエクスキューズで、動物愛護がどうしたこうしたの批判をはねのけることも可能だろう。

 だが、『情熱大陸』は、そのどちらでもない道を選んだ。スローライフやロハスの根っこにある「共生」を否定し、「弱肉強食」の摂理の中で生きる大滝さんの姿を、ただまっすぐに描いた。教養だの理屈だのを超えて、一人のマタギは、2006年のいま、ここにいる。マタギとして、ウサギを撃ち、熊を追う。猟は観念でもなければ文化でもない。金を稼ぐ手段でもないかわりに、趣味と呼ぶようなヤワなものでもない。

 猟は猟であり、死は死であり、生は生であり、マタギはマタギ――よけいな装飾や言い訳抜きに、マタギとしての自分の生をただ生きる大滝さんの姿そのものが、骨太な説得力でそれを伝えてくれるのだ。

 今回の『情熱大陸』はハードボイルドの手法でつくったドキュメンタリーかもしれない。なるほど確かに、大滝さんは、万が一――こんな「もしも」は失礼なことだと承知で言えば、猟のさなかに熊に襲われたとしても、どこかハードボイルド小説のヒーローのように、自らの命をも弱肉強食の摂理の中に収めて「死」を受け容れるんだろうな、という気がする。そして、だからこそ、番組の最後に「夏に家族と一緒に来いよ」と(ものすごーい越後訛りで)スタッフに言う大滝さんの笑顔が、たまらなく魅力的なのだ。

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2006年 05月 19日 読む情熱大陸 |



2006年4月21日 (金)

読む情熱大陸:王貞治



重松 清

 番組をつくっている各位には大変申し訳ない言い方なのだが、新聞のテレビ欄で王貞治さんの名前を目にしたときには、正直に言って、「熱い」期待は寄せていなかった。

 なにしろタイミングがタイミング――WBCのアメリカ戦を翌朝に控えた3月12日のオンエアである。開幕前にはどこかシラけ気味だったWBCをここで一気に盛り上げるべく、『情熱大陸』で前夜祭を……という筋書きを勝手に思い描いてしまっていたのだ。

 ごめんなさい。
 なにより王さん、すみません!

 プロデューサーから資料用に送ってもらったDVDで番組を観たシゲマツ、なんとも失礼な早合点を心の底から悔やみ、反省した。そして僕と同じように早合点して当夜の『情熱大陸』を見逃してしまったひとたちのために、どうにかして再放送を検討していただけないか、とお願いしたくもなった。

 景気づけの前夜祭だなんて、とんでもない。番組は、きっちりと王さんのドキュメンタリーをつくりあげていた。それも、「中国籍を持って日本の球界で活躍した、世界のスーパースター」という王さんの複雑なアイデンティティーに深く迫っていく、いわば内面のドキュメンタリーだったのだ。

 43歳になる僕の世代――要するにオジサンたちにとって、「王貞治物語」は、「長嶋茂雄物語」と並んで子どもの頃からおなじみのものだった。のちの名伯楽・荒川コーチとの出会い、甲子園でのノーヒットノーラン、プロ入り後の打者転向、日本刀の素振りで開眼した一本足打法……いまも僕たちの記憶にくっきりと残るそんな数々の逸話には、もちろん、国体出場辞退に象徴される王さんの国籍にまつわる話も含まれていた。

 その意味では、オジサン視聴者にとっては今回の番組は「王貞治物語のリメイク」でもあったのだが……日本代表チームの監督として、日の丸を背負ってWBCに臨む状況のもとで語り直される「王貞治物語」は――65歳という王さん自身の年齢も含めて、子どもの頃に慣れ親しんだ「物語」よりもはるかに胸を震わせた。それはなぜだろう。王さんのホームランに目を輝かせていた昭和の子どもたちもオトナになり、「国」というものをあの頃よりもずっとリアルな重みで考えるようになったから――だろうか。あるいは、国民栄誉賞まで受賞した王さんが、いまなお、この「国」に注いでいる謙虚なまでの優しさゆえ――なのだろうか。

 番組中、王さんは、ユニフォームに掲げられた日の丸の位置も、日本代表のユニフォームが似合っているかどうかも、「自分ではわからないんだよ」と苦笑交じりに言った。
あくまでも軽い口調の、照れ隠しだとは思う。だが、僕はその言葉に、王さんの万感の思いを感じ取ったのだ。

 日の丸は、そしてニッポンという「国」は、王さんの「世界」的な偉業を称え、誇りとしつづけてきた。だが、日本の国籍を持たない王さんにとって、日の丸は「背負うもの」ではなく、常に(時として複雑な思いで)「見つめるもの」「向き合うもの」だったのだ。その日の丸が、いま、王さんのユニフォームの袖にある。王さんは「国」の代表チームの将として、「世界」を舞台に戦う……。

 WBCの前夜祭のフリをしていた(というか、僕が勝手に早合点しただけなのだが)この番組、じつは一人のヒーローと「国」との関係を描いた硬派のドキュメンタリーだったのだ。

 WBCで優勝したときの王さんのはじけるような笑顔を、あらためて思いだす。
 最高の笑顔だったよね、ほんとうに。

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2006年 04月 21日 読む情熱大陸 |



2006年3月17日 (金)

読む情熱大陸:さいとう・たかを、松任谷由実



重松 清

 二月前半の『情熱大陸』は、なんだかぼくたち中年世代にプレゼントを贈ってくれたようなラインナップだった。
 だって、二月五日が『ゴルゴ13』のさいとう・たかを氏で、翌週の十二日が松任谷由実――ユーミンだぜ。

 七〇年代からずっと、ほんとうにずーっと、二人は「巨星」でありつづけている。キャリアは長い。とにかく長い。売り出し中の若手が生まれる以前から、そ れぞれの世界でトップを走ってきた二人だ。その歴史を丸ごと語ろうとすれば、三〇分番組が何本あっても足りない。ハンパに端折ってしまうと、結局はプロ フィールをなぞっただけで終わるだろう。

 そんなデカすぎる二人を、番組はどう描いていったのか。

 もちろん、撮影スタッフや構成者はそれぞれ違う。なにより、さいとう氏とユーミンでは活躍するジャンルも違うし、つくりだす作品のテイストも……これはもう、とんでもなく違う。
 なのに、この二本、不思議なぐらい似ていた。いや、そんなふうに書くと誤解を招いてしまうかもしれない。番組の構成やディテールが似ているのではない。もっと根っこの、二人の「巨星」を見つめるまなざしというか、姿勢というか、ココロザシのベクトルがとてもよく似ていたのだ。

 七十歳のさいとう氏も、五十一歳のユーミンも、それぞれ番組中でご自身の年齢を口にする。さいとう氏は仕事場のソファーで仮眠をとるときに、ユーミンは八〇年代チックなブリッコの声やポーズを決めたときに、照れ隠し半分でビミョーな自嘲を込め、しかし、静かで確かな自負をにじませて。
 そこなのだ。大御所二人を描いた二本のドキュメンタリーは、あくまでも二人を「現役の最前線」でとらえる。

 作品づくりの舞台裏、日々の忙しさ、スタッフとのやりとり……どのシーンにも、いままさに第一線に飛び出したばかりの若手の日常を描くときと同じ熱さがある。その一方で、『ゴルゴ13』を描きつづけることやユーミンでありつづけることを支えるバックボーンも――もしかしたらファンタジーを壊しかねないリスクを引き受けつつ、描きだす。コンビニの弁当を頬張るさいとう氏に、バランスボールに乗るユーミン、群衆の中の一人の描き方にこだわるからこそ生まれる『ゴルゴ13』のリアリティに、ラジカセから始まるユーミンの作品世界……。
 どちらの作品にも「核」となる場面はなかった。さいとう氏を描いたスタッフは、『ゴルゴ13』の一編が仕上がるまでの様子を克明に追いかける。しかし、それはあくまでも膨大な『ゴルゴ13』の中の一編にすぎない。ユーミンに密着したスタッフも、母校・多摩美大でのステージ、アジアのアーティストとのコラボ、苗場でのステージ……と、いくらでも「核」となりうる場面を惜しげもなく日常の中に落とし込んでいく。なんとも贅沢。かつ、「核」がなくとも物足りなさはみじんも感じさせないというところに、「『ゴルゴ13』を描きつづけること」や「ユーミンがユーミンでありつづけること」はあくまでも現在進行形である、という凄みや重みがずっしりと息づいているのだ。

 新聞のテレビ欄で二人の名前を目にした中年世代は、ある種の懐かしさを胸にチャンネルを合わせた(という言い方が死語ではなかった頃から二人は「巨星」だったんだぜ)はずである。ぼくもそうだった。だが、番組からもらったプレゼントは、決して懐かしさではなかった。プレゼント――そこには、「現在」という意味もある。

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2006年 03月 17日 読む情熱大陸 |



2006年2月17日 (金)

読む情熱大陸:清水直子



重松 清

 この連載をはじめて、間もなく丸三年になる。すっかり慣れた--というのはずいぶん不遜な言い方になってしまうが、三年前とは番組を観るときの視点が違ってきたな、と思うことはしばしばある。

 コラムを書くことを前提に番組を観ていると、「情熱」そのものの魅力はもちろん、その情熱を「どう描くかという番組の情熱」にも目がいくようになる。それは紛れもなく、この仕事をやらせてもらっている特権だろう。ありがたい。素直に、心から、そう思う。 だが、その一方で、「番組を一視聴者として愉しむことは、もうできないんだな・・・・・・」という寂しさも、ないわけではない。軽い気持ちで寝ころんでチャンネルを合わせたはずの番組に、いつのまにかアツく感情移入して、気がつくと起き上がってテレビの画面を凝視している--という番組との付き合い方が、むしょうに懐かしくもなったりするのである。

 そんな僕が、一月二十九日オンエアのヴィオラ奏者・清水直子さんの回は、みごとに一視聴者に戻っていた。コラムの書き手としてではなく、一人のオヤジとして「まいった!」と脱帽しつつ拍手を贈りたくなった。

 名門ベルリン・フィルハーモニーで、女性初の首席ヴィオラ奏者をつとめる清水さんのドキュメンタリーには、ヴィオラの音色そのままに、ホンワカとした温もりと、そして微妙な翳りがあった。

 自ら「超フツー路線」と笑う清水さんの姿は、芸術家としての凛とした厳しさを随所で垣間見せながらも、どこまでも自然体で、その飾らなさがとても 魅力的だった。特に、オーケストラで演奏中の清水さんの姿を間近にとらえた映像は圧巻!映像そのものの力もそうだが、なにより演奏中の清水さんの楽しそう な表情は、なんと魅力的なのだろう。クラシック音楽には門外漢のシゲマツでさえ、「音楽を奏でるって、ほんとうに楽しいんだな」と、しみじみ実感したほど だった。

 だからこそ--ドイツに居を構えて国際結婚した清水さんと、結婚に反対していた両親との距離が、なんともいえない苦みになって、番組に翳りを落と していた。それはもちろん、物語に文字どおりの陰影をつけて、異郷の地でがんばる清水さんの情熱の芯にもなっていたのだが……いつのまにか清水さんの笑顔 に魅せられて一視聴者になっていたシゲマツ、結婚をめぐる両親との衝突を語る清水さんの笑顔に一抹の寂しさを感じ、「なんとか両親との触れ合いの場面を観 せてくれ!」と画面に向かって祈っていたのだ。

 だが、その場面、なかなか訪れない。素敵なおばあちゃんがいて、優しい理解者の弟がいても、両親の姿はいつまでたっても現れない。大晦日のコン サート--日本でも深夜に生中継されるコンサートの場面でも、両親の姿はない。ドキドキした。ハラハラした。「家族も観てるといいんですけどね、寝てるか な?」と笑う清水さんが、なんともケナゲで、いじらしくて……コラムのことなんてまるっきり忘れて、ただひたすら、「これで終わりか?終わりってわけじゃ ないだろうな。これで番組が終わったら怒るぞ、オレ」と画面に向かってつぶやいていた。

 その胸の内をみごとに見抜いたかのように、番組は最後の最後に、素晴らしい場面--国際電話でのお母さんとの会話を用意してくれていた。うまい! 心憎い!ほんの三十分足らずの番組の中ですっかり清水さんの大ファンになったぼくは、思わず胸を熱くして涙ぐんでしまった。その涙は、コラムを書きつづけ て少々すれっからしになっていた男に、あらためて「ドキュメンタリーを観ることの面白さ」の原点を教えてくれたのだ。

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2006年 02月 17日 読む情熱大陸 |



2006年1月20日 (金)

読む情熱大陸:東信



重松 清

「日本語」の強さを、あらためて思い知らされた。

という書き出しを、まさか、この職業のプロについてのコラムで使うとは思わなかった。12月18日オンエア――東信さんの回について僕は書こうとしているのだ。

 東さんの職業は「花屋」。間違いない。何度番組をリプレイしてみても、彼は(そして番組も)、「花屋」以外の呼称は使っていない。「さん」を付けて、印象をやわらげるような真似もしない。とにかく「花屋」、きっぱりと「花屋」。まずはそこに、正直に打ち明けると、ちょっと面食らってしまった。

 だって、銀座の一等地に店(というかアトリエ)をかまえてるんだぜ? 一流ブランドの店舗がこぞってディスプレイを任せてるんだぜ? オーダーメイドで花束やフラワーアレンジメントを手がけて、その仕事は、お洒落な雑誌でもしばしば紹介されて……パリの高感度ブティックからも、年に一度の檜舞台とも言えるクリスマス用のショーウインドウの飾り付けを頼まれてるんだぜ?

 ふつうなら、「フラワー○○」とか「××アーティスト」とか、いかにも的な横文字を自分の肩書きにしちゃうだろう。それが戦略というものだ。あるいは、たとえ本人が自ら名乗らなくても、紹介するほうが勝手に新しげな名前を付けてしまうだろう。それがマスコミというものだ。

 実際、番組の前半でテンポよく紹介される東さんの活躍ぶりは、軽やかで華やかなカタカナ名前が絶対に似合うはずなのだ。

 なのに、なぜ、番組は「花屋」をつかいつづけるのだろう。繊細でありながら、厳しさと熱さを持った、いわば体育会系気質の東さんには、日本語の響きのほうがふさわしいと考えたからだろうか……。番組の前半を観ながらシゲマツが頭の中でめぐらせた推理は、どうやら半分しか当たっていなかったようだ。

 確かに、東さんは熱いひとだ。言葉や行動の端々に、「花」への愛情や、「花を贈ること」「花を飾ること」への深い思い入れが覗き、テレビの画面越しでも圧倒されてしまうほどだった。

 だが、それと同時に――東さんは、意地を持った好漢でもあった。番組の終盤、東さんは二日がかりで手がけた結婚披露宴のアレンジメントを、会場のスタッフに「たかが花」「たかが花屋」扱いされてしまう。その悔しさに涙する東さんの姿は、前半のどんなに華やかな場面よりも美しかった。

「たかが」と呼ばれてしまう立場の悔しさを嫌と言うほど味わってきたからこそ、それをくつがえしたい。「たかが」付きの視線でしか花や花屋を見られない連中を、いつか見返してやりたい。そんな意地の証が「花屋」なのだ。キザな横文字に対する表面的な反発が東さんに「花屋」を選ばせたのではなく、もっともっと深いところに根差した意地と誇りが、彼を「花屋」以外のどんな呼び名にもさせないのだ。

 で、東さんと比べるのはおこがましいとは承知のうえで、一言。僕もまた、「フリーライター」という「たかが」が付く職業名を、いまでもつかいつづけている。自分なりにせいいっぱいの誇りを持ち、せいいっぱいの情熱を傾けてきた「フリーライター」の仕事をあっさりと「『作家』になる前の下積みでしょ」と言い放つ連中への、ささやかな意地のようなものである。

 だから、東さんの意地がほんとうにうれしかった。心底カッコいいと思った。東さんと自分が対等だなんて決して思わないけれど、ああ、ここにも意地を持っているひとがいるんだなあ……と、番組を観たあとで、僕はありったけの拍手を贈ったのだ。

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2006年 01月 20日 読む情熱大陸 |