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2009年2月20日 (金)

落語家・立川談春



重松 清

 言うまでもなく『情熱大陸』は30分番組、コマーシャルの時間を除くと、正味は25分足らずである。

 だが、その夜、僕は番組を観終わると大きく息をつき、時計に目をやって、新聞のテレビ欄を確認した。1月4日、立川談春さんの回のときである。観ている ときはあっという間だったのに、エンディングテーマが流れるときに胸に残るものは、ずっしりと持ち重りがする。小説で言うなら、小粋な短編を読んでいたは ずなのに、まるで上下巻におよぶ長編を読んだような読後感があったのだ。

「もしかしたら、お正月でもあるし、今回は時間延長のスペシャル版だったのか?」とさえ思った。しかし、時計を見ても、新聞で確かめても、やはりノーマルな長さである。後日、番組のスタッフから送ってもらったDVDでもう一度観たときも、感想は変わらなかった。もちろん作品の長さも同じ。だとすると……ちょっとこれは、新年早々、スゴいものに僕たちは出会えたのではないか?

 多少なりとも分析的に言えば、この作品、一本の強い柱が通っている。談春師匠の、師・立川談志師匠への思いである。それも、落語界の師弟の絆というだけにとどまらない、父親と息子という普遍的な関係にも通じる、太くてまっすぐな思いだ。

「父」はあくまでも厳しく、そっけなく、なにより大きい。「子」のほうはヤンチャで向こう意気が強く、作品の中で笑福亭鶴瓶師匠がつかった関西弁を借りれば「やたけた」な男である。だが、「父」にもやがて老いの日々が訪れるし、一方「子」は成長し、少しずつ、少しずつ、「父」に迫っていく。

 その微妙な関係を、カメラとマイクはみごとにとらえていた。目立たない場面だが、談春師匠が面談に臨んだ弟子の父親にあえて――かつて談志師匠がそうしたように、厳しい言葉をかける光景など、まさに「子」が「父」になりつつあるという象徴ではないか。

 さらに、より前面に押し出されたドラマがある。挫折からの復活という、これまた普遍性を持った強い柱だ。しかも、「父」の十八番だった『芝浜』をめぐって、一度は挑んだがはね返された壁に再び挑んでいく、というドラマである。「かつて挫折があったが、それを乗り越えていまに至る」という構図を、過去の回想として語るのならたやすい(というより、カメラを向けていないものは「あらすじ」でしか語れないのがドキュメンタリーの宿命である)。だが、この作品では挫折と復活が、リアルタイムの物語の中に組み込まれている。それも、談春師匠の談志師匠への思いというメインの柱にぴったりと寄り添うような形で……。だからこそ、わずか25分弱の作品が、その倍、いや三倍の長さの作品に価するほどの密度を持った。さらに密度があるからこそ、展開にスピード感も生まれる。かくして、「あっという間に観てしまう長編」という希有な作品が生まれたのである。

 ちょっと褒めすぎだって? でも、考えてみてほしい。談志師匠と談春師匠の、この微妙な距離感は、3年前にはなかっただろうし、3年後にも別の形になっているだろう。昨年末の独演会がたとえば3月開催だったらオンエアの時期をずらしてでも作品に入れるはずだが、逆に、談志師匠との二人会が密着取材の前におこなわれていたら……挫折は「あらすじ」でしか語れなかったはずなのだ。それを思うと、まさに一期一会。「師匠選びも芸のうち」と談春師匠が言うとおり、「タイミングも作品のうち」なのだ。そしてなにより、「いま」しか成立しない物語を、「いま」を超えた普遍性で描く――これもまた、優れたドキュメンタリーの条件なのだから。

落語家・立川談春篇(2008年1月4日放送)

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2月 20, 2009 読む情熱大陸 |

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