建築家・迫慶一郎
具体的な形を持たない「情熱」を、身近なモノに譬えてみると――。
僕なら、情熱とはバネのような形をしているのかもしれない、と答える。
周知のとおり、バネはいったん縮まないと伸びることができない。負荷を与えられることが必須なわけだ。楽に、するりと伸びていくのではない。もしかした ら負荷が強すぎてひしゃげてしまうことだってあるかもしれない。それでも、グンと伸びるためには負荷は限りなく強くしなければならない。趣味のレベルの 「好き」とプロフェッショナルとしての「情熱」との違いは、そこにあるのだと、僕は考えている。
実際、「逆境の中でがんばる姿」は『情熱大陸』ではおなじみの光景だし、その逆境がハードであればあるほど「情熱」の強さが際立つのも確かだ。
しかし、それにしても……と、1月13日オンエアの建築家・迫慶一郎さんの回を観て、僕は何度となくため息をついた。中国で巨大プロジェクトを次々に手がける迫さんにかかっている負荷は、ちょっともう、ハンパなものではない。ナレーションにもあったが、観ているこっちのほうが胃が痛くなりそうな場面の連続である。
商習慣や文化の違いだと言ってしまえばそれまでなのだが、中国のクライアントというのは、なんと横柄で、横暴で、自分勝手で、したたかなのだろう。「躍進をつづける中国で活躍する若き日本人建築家」というアウトラインから予想していた颯爽とした華やかさは、これっぽっちもない。なにしろ番組冒頭から、カメラはクライアントに無視される迫さんの姿をとらえているのだ。悔しかっただろうなあ、と思う。オフィスに戻っても、部下の仕事は決して完璧ではないし、夜食の弁当も注文どおりのものを買ってこないし……。
いらだちが伝わる。それを超えてしまった脱力気味の苦笑も、こっちがいたたまれなくなるほどの臨場感で迫ってくる。だが、カメラは同時に、どんなにキツくても決してキレず、決してあきらめない迫さんのタフネスも映し出す。
番組の中盤あたりから、僕はずっと「この物語にどんな『救い』を出してくるだろう」と考えていた。月に一度の帰国、家族との休息。なるほど。それは「あり」だ。しかし、その場面は意外なほどさらりと終わる。ならば、最後に「中国のクライアントも意外といいところあるんだな」というエピソードを持ってくるか……。
違った。番組は、迫さんの情熱にかかる負荷を最後の最後までゆるめなかった。竣工間近のビルを見て、迫さんは「いままでの苦労を忘れる」「これがあるから建築はやめられない」と笑った。だが、それも達成感に満ちた安堵の笑顔というより、「これからの苦労」を覚悟した決意表明のように思えてならない。要するに、ハッピーエンドにはなっていないのだ。結果として、「中国で勝負をするっていうのは大変だよなあ……」という思いが残って、ちょっと収まりは悪くなってしまったかもしれない。
だが、僕はそこに、中国で生きる迫さんへの番組からの最大級の敬意を見る。安易な救いの場面を用意して、おためごかしに負荷を軽くして番組を閉じるのではなく、むしろ逆に、タフな負荷をそのまま残しておくことで、迫さんの情熱のバネの強さを描ききったと思うのだ。
『情熱大陸』は、どの回も「完」や「了」では閉じられない。物語は常に「つづく」である。迫さんが最後に浮かべた笑顔は、そのことをあらためて思い起こさせてくれた。
2月 22, 2008 読む情熱大陸 | Permalink
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