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2008年2月 1日 (金)

第4話 鍋のあと

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角田光代

 今度の週末、節分をやるよ、と民子から連絡があった。その週末、手土産を買うためにデパートの地下食料品売場をうろつき、いきのいい有頭エビを売っていたのでそれと、芋焼酎を一本買って民子のマンションに向かった。

 節分とか、海の日とか、敬老の日とか、大義名分はなんでもよくて、とにかく私たちは不定期に集まっては酒を飲んでいる。最初のころは評判のレストランを 予約したりもしていたのだけれど、なんというか、女五人の飲む量がすさまじく、会計が信じがたいほど跳ね上がる。ならば、というので最近は、それぞれ飲み たい酒・食べたいものを持参して、比較的広い民子のマンションに集まるようにしている。

 千駄木にある民子のマンションに着いたのは四時。鍵のかかっていない玄関のドアを開け、「きたよー」と廊下に向かって叫ぶ。突き当たりのリビングにいるのは、早苗と麻里の二人で、キッチンから民子が顔を出し「何買ってきてくれたの」と私の手にした紙袋を見る。ダイニングテーブルには和洋取り混ぜた酒瓶とグラスが並んでいる。自分のぶんは勝手に作って飲むのが私たちの決まりである。グラスにビールを注ぎ、すでに飲んでいる三人と乾杯をしたところで由香がやってきた。これでメンバーは全員。

 私たちは聖光女子学園の元同級生である。中学一年のとき同じクラスで、そののち高校卒業まで同じクラスとは限らなかったが、それでもしょっちゅう顔をつきあわせてはおしゃべりしていた。けれど卒業後、時間の経過とともに連絡も途絶えがちになり、女の友情なんてもろいもんだと思っていたが、気がつけばこうして集まっている。縁というのは不思議なものだとつくづく思う。

「今日は寄せ鍋にするわ」キッチンの民子が大声で宣言する。
「また鍋? あんた鍋しかレパートリーないの?」
「だってあんたたちが好き勝手なもの買ってくるからじゃないの。早苗は豚肉。美奈はエビ。麻里っぺはホタテときんめ。由香はおでんの具。なんでこうもバラバラなのかねえ」
「だから言ってるでしょう。民子が指定すればいいの。あれとこれを買ってきてって」
「でも民ちゃん、私の買ってきた豚はイベリコ豚なの。滅多にないのに今日は売ってたから買ったのよ。すごく高いの。寄せ鍋にするようなものじゃないの」
「私はさあ、どうせ民子は鍋しか作れないからと思って、鍋の具になるようなものをあえて買ったんだよ」
「ああうるさい、麻里っぺ、カセットコンロ出して。和室のちゃぶ台の上片づけて。鍋の用意するから。えーとたしか白菜と椎茸はうちにあったし、お豆腐も……」

 十五分後には、私たちは鍋を囲んで輪になっている。イベリコ豚も有頭エビも、おでんの具もいっしょになって鍋のなかでぐつぐつと煮えている。麻里っぺがせっせと灰汁をすくい、その隙を縫うようにして各方向から箸がのびる。グラスが空になれば各自立ち上がって、ダイニングテーブルで好きなものをついでくる。私はビールから日本酒に切り替えていた。

「そういえば、私、最初の結婚がだめになったきっかけって、寄せ鍋だったわ」遠い目をして早苗が言う。「私、寄せ鍋ってのは、具をたくさん入れれば入れるだけ出汁が出ておいしくなるものだって教わって育ったのよ。だから私はイカもホタテも鶏も鰯のつみれも入れるの。それが最初の夫ときたら、その鍋を汚いと言ったのよ。あれもこれも入れすぎて、これじゃごった煮だって」
「そんな話、はじめて聞いた。でもそれで離婚なんて、ばっかみたいじゃないの」
「違うの、それだけならまだよかった。こともあろうにその男、自分の母親は寄せ鍋なんて手抜き料理は作らなかったと言うわけよ。鍋といえばふぐで、ポン酢だって市販品じゃなく手作りだったとぬかすわけよ」
「ああ、そりゃだめ。離婚して正解。そういうね、自分の母親が世界の中心だと思ってる男はだめ」
「でも二度目はうまくいったんだからよかったじゃない。終わりよければすべてよしよ」
「結婚なんて寄せ鍋よね」
「そうよ、違うもん入れてぐつぐつ煮るのよ。たいがいうまくいくけど、まあ、失敗のときもあるわねえ」
「灰汁ばっかりになったりね」
「私、鮭入れるのあんまり好きじゃない」
「あら、鮭いいじゃない。私は好きよ」
「それぞれよね、味覚も具も」
「味覚の合う男の人って、今からでも見つかるかしら」
「それはどうかなあ。難しいかもね」
「顔より格好より、味覚だと思うね」
「まあ、食べることっていうのはついてまわるからねえ」

 私たちの言葉数に反比例するように、鍋の中身はどんどん減っていく。最後の締めはうどんにするか、ごはんにするかで揉め、ごはんと決まってからも、おじやにするか雑炊にするかで揉める。多数決の結果、雑炊に決まる。民子がごはんと卵、浅葱を用意して雑炊を作りはじめる。

「六十歳を過ぎてこうしてまた集まるなんて、思わなかったわ」鍋のなかをのぞきこんで、早苗が独り言のようにつぶやき、それで私は自分の年齢を思い出す。そうだった、私は十七歳でも二十五歳でもない、六十三歳だったと。今は昭和ではなく、ここはあんみつ屋でも埃くさかった教室でもないのだと。

 結婚したり、出産したり、引っ越したり、二十代の半ばからそれぞれの人生にはそれぞれのささやかな事件があり、そちらにかかりっきりで思い出すこともほとんどなかった元級友だった。同窓会で久しぶりに顔を合わせてもあわただしく近況報告をするだけで、以前のように額を寄せ合って、恋について未来について、幸福について人生について話すことはなかった。きっともうあんな時間はないんだろうと思っていた。それがこうしてあのころと同じに寄り集まって、鍋の中身をつつき合っている。早苗は二度目の結婚で二人の息子を得た。息子たちはそれぞれ家庭を持っている。子どものいない民子の夫は、定年後、海外シニア協力隊員となってボランティアにいそしみ、今はアフリカの聞き慣れない名前の国で、農業開発を手伝っているそうだ。十年も前に離婚している麻里は、今は未婚の娘と二人暮らし。性格の合わなかった姑を二年前に看取った由香は、この二年、温泉だ外国旅行だと、夫を置いて惚けたように遊びまくっている。昨年夫を亡くした私がこうして笑えるようになったのも、彼女たちのおかげだった。

「鍋もおいしいけどさあ、やっぱり最後の雑炊が格別よねえ」

 みんなのぶんの雑炊を小皿に取り分けながら、麻里が言う。しばしおしゃべりはやみ、雑炊をすする静かな音だけが部屋に響く。

 恋について未来について、幸福について人生について、私たちは以前のようには話さなくなった。もう知っているからだ。それらをぜんぶ、私たちはすでに手にしていることを。それでも話すことはたくさんある。笑うべきことはたくさんある。

「雑炊みたいなものだよね」私は思いついたことをそのまま言う。みんな顔を上げる。私たちの今過ごしている時間は、なんだか鍋のあとの雑炊みたい。滋味深く、あたたかくやさしく、長い時間のあとにしか手に入らないもの。
「あいかわらずあんたの言うことは意味がわからない」由香が言い、「あー、おいしい」と目を細める。
「食べ終えたら、鬼は外、福は内、やろうね」早苗が言い、
「あっ、お豆、買い忘れた」民子が叫ぶ。
「いいわよ、もう、鬼を追い出さなくとも」私は言って、小皿の雑炊をゆっくりとすする。
「でも豆は食べよう」と麻里。
「年の数だけね。一袋で足りるかしら」民子が言い、私たちは笑い合う。

 鍋からひっきりなしに上がるやわらかい湯気のせいで、女たちの顔は十代のころとまったくおんなじに、つややかに光り輝いて見える。

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2月 1, 2008 ゆうべの食卓 |

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