柔道家・井上康生
金メダルを獲得したシドニー五輪の表彰台で亡きお母さんの遺影を掲げたときから、早や7年――。僕は当時、女性週刊誌でヒューマン・ドキュメンタリーの仕事をしていて、井上康生さんの金メダルまでの物語を書いたことがあった。記事の細かい内容までは覚えていないが、きっと、弱冠22歳で世界の頂点に立った井上さんのことを「若き英雄誕生」と称えていたはずだ。
だが、いま振り返ってみると、ヒューマン・ドキュメンタリーの主役にふさわしいのは、むしろそこからの日々の井上さんのほうだったかもしれない。特に、連覇が期待されていた2004年のアテネ五輪で思わぬ4回戦敗退を喫し、また全治6カ月の重傷を負い、さらには実兄の急死という不幸に見舞われた、この3年間は……。
番組の密着ロケがおこなわれていた頃、井上さんは28歳――世代交代が進んでいる重量級の柔道界では、じゅうぶんにベテランの部類に属する。選手生命が危ぶまれるほどの大ケガをしてしまえば、「もういいか」と気力が萎えても不思議ではないだろう。
それでも、井上さんは再起を図る。来年の北京五輪での雪辱を自らに誓って、傷が癒えたばかりの体を徹底的にいじめ抜く。
……という構成じたいは、フィクションの世界では「王道」である。それこそ映画『ロッキー』は、その繰り返しで続編をつくりつづけてきたのだから。
だから、僕が今回の番組で胸を熱くした理由は「ベテランが再起する」という筋書きにあったのではない。むしろ逆――フィクションとは違う、現実の重さと苦さの部分だった。
井上選手の復活劇は、残念ながら、番組の中で披露されることはなかった。フランスでの国際大会では優勝したものの、番組のヤマだった全日本体重別選手権では準決勝敗退。さらに付け加えれば、オンエア後の4月29日におこなわれた全日本選手権でも、8歳年下の石井慧選手に準決勝で敗れてしまった。
復活の道は、やはり険しい。『ロッキー』のようにはいかない。
だが――だからこそ、井上さんは「ここまでやって勝てないのなら、まだ努力が足りないということ」と言い切ってくれた。現時点での「負け」を謙虚に認めつつ、しかし明日の「勝ち」を目指して努力をつづけるんだと誓ってくれた。
努力が必ずしも報われないことだって、現実にはある。勝負事ならなおさらだろう。
井上さんはそれを受け容れたうえで、でも、とつづけるのだ。「柔道の神さまは『いる』と信じたい。そして、神さまには、自分にかぎらず努力をしてがんばっている選手に微笑んでほしい」――そこに「自分にかぎらず」の一言を挟むところが、おとなの強さと優しさなんだよ、若い諸君。
シドニーの表彰台に立った22歳の井上さんの姿も確かにカッコよかった。でも、僕はやっぱり……いまの井上さんのヒューマン・ドキュメンタリーのほうが、ずっと深みのある物語になる気がするのだ。
5月 18, 2007 読む情熱大陸 | Permalink
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